第一コリント 13章4節(2)愛は情け深い

2020年1月8日

(内容)

  • 愛は情け深い。神の愛は情け深い。それゆえ私たちも情け深く人に接する。

(黙想)

  • 「情け深い」と訳された言葉は別の聖書では「親切」と訳されている。「情け深い」と訳された言葉は動詞である。この言葉の名詞形はルカ福音書で用いられている。

ルカ 6:35
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

  • 続く6章36節では、

    あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

  • 「情け深い」と「憐れみ深い」がどのように違うのか。意味としては似ているように思う。神はモーセに対して自分がいかなる方かを教えられた。

出エジプト 34:6~7
主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」

  • ちなみに広辞苑によると
    「情け深い」は「思いやりのあるさま、同情心が深い」。
    「憐れむ」は「ふびんに思う、同情する、気の毒に思う」
    「慈しむ」は「かわいがる、大切にする」。
    「恵み」は「なさけをかけること、あわれみ、いつくしみ」とある。
    「恵む」は「なさけをかける、あわれむ、恩恵を与える」。
  • 「情け深い」も、神ご自身が情け深いので、神を信じるキリスト者も愛に生きる、つまり情け深く生きるようにパウロは教えている。ルカの「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである」とあるので、これは「親切」に近い。相手がどのような人物であるかは関係なく、こちらが相手に対して親切に振る舞っていく態度である。僕の感覚では、「憐れみ深い」は相手が罪を犯す人間、悪人であることを前提としているように思う。誰に対しても親切に振る舞うのが情け深い、特に罪人、悪人に対しても親切に振る舞うのが憐れみ深い。どちらにしても相手に対して好意をもって接し、振る舞うことを意味しているように思う。
  • ではなぜ神は、情け深く人間に接するのか。人間に対して憐れみ深く接するのか。それは神が情け深い方、憐れみ深い方であると知らせるためである。そしてご自身との交わりへ人を招くためである。神がどのような方かを人間に知らせ、ご自身との交わりに招いているのである。
  • パウロは愛を「最高の道」と語った。神の愛に倣って生きることは、最高の道である。これが最高の道であることは自明ではない。人は他人よりも自分を大切にして生きる。でもそれは人が神を信じないで、自己中心的に生きており、罪を犯して生きているからと考えることはできる。神を信じない者は愛が最高の道であると理解することはできない。
  • キリスト者は理解できるのか。どうしたら理解できるのか。そしてキリスト者はだれもが最高の道を歩まなければならないのか。それはなぜか。答えを出すには、そもそもキリスト者とは何か、を考える必要がある。
  • 神を信じて生きるとは、神の招きに応えて生きることである。聖書の神は、人間をご自身との招きに招く神である。そして神を信じるとは、この招きに応えて生きていくこととなる。この神は罪を犯すキリスト者に対して忍耐強く悔い改めを待つ方であり、情け深く、好意をもって接しようとしてくださる方である。
  • もしこの神との交わりに生きることを願うなら、神のことをさらに知らなければならない。神は人を神の似姿に造られたことを知ることは大切である。それ故、人は神の似姿となるように生きる、それが神との交わりに生きることとなる。
  • またキリスト者は洗礼を受け、キリストに結ばれ神の子とされている。神の子とされているので、父なる神の子としてふさわしく生きるために、情け深く生きることを目指す。情け深く生きることは到底できない私たちであったがイエス・キリストを信じ、神の子とされたことを喜び感謝して、情け深く生きる、そのことによって神が情け深い方であることを証しし、神の栄光を現す。それが神との交わりに生きる者の歩み。神の栄光を現すことは信仰者として最高のことである。
  • 私たちは「愛する」ことが何かを神から学ぶ。神がどのように人間を愛されたのか、そこから愛を知る。今日は他者に対して情け深いことが愛することと教えられた。人に親切に振る舞うこと。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は情け深い、憐れみ深い方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>情け深い行動をすること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、あなたは情け深い方です。罪を犯す私たち忍耐強く、そして情け深く接し、あなたのとの交わりに招いてくださいます。今日はあなたの愛を思いめぐらしながら、私たちがあなたが愛したように私たちも愛することの意味を知りました。私たちはあなたに似せて造られました。だから、あなたが愛したように私たちが人を愛する時、それはあなた栄光を現すことになると思いました。愛することが最高の道なのは、あなたが愛であり、あなたが私たちを愛してくださるからだと思いました。あなたに愛される私たちは、愛されるにふさわしい者ではないのに、あなたは愛してくださいました。忍耐強く、そして情け深く私たちに接し、私たちを交わりへ招いてくださりました。
  • あなたのように私たちが愛していく時、私たちが交わりを持っている相手もきっと変わっていくと思います。それを見る時、愛することが最高の道であることが分かるような気がしました。
  • 新型コロナウィルスの感染拡大の中で自粛生活をし、他の人と接することがめっきり少なくなりました。情け深く接する相手は、妻となります。今日の一日、情け深くする舞います。導いてください。
☆与えられた導き
  • 妻に対して情け深く接する。