1.聖書から

神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです(コリント一1:9)。

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです(ヨハネ一1:3)。

2.神との交わり

信仰に生きるとは、神さまとの交わりに生きることです。信仰は神の戒めを守ることではなく、神さまとの交わりに生きることです。神さまとの交わりに生きるとき、神さまのみ心を大切にするので、私たちは神さまの教えに従います。交わりに生きるとは、相手の心を大切にすることです。相手の心を大切にすること、相手を大切にすることを「愛する」と言います。神を愛するとは、神のみ心を大切にすることです。

神さまは人間を造られるとき、ご自身に似せて造られました。

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された(創世記1:27)。

神にかたどって造られた人間はひとりではなく、男と女でした。男と女は、結婚して夫婦として生きることになります。彼らは夫婦として交わりに生きるのです。交わりに生きる、そこに神さまに似せて造られたことが現れています。そして人間は神さまとの交わりに生きるために造られたのです。神さまは父なる神として、私たちは神の子として、交わりを持ちます。あるいは神さまは主なる神として、私たちは神の民として交わりを持ちます。私たちは神さまとの交わりを持ちますが、私たちと神さまはどのような関係にあるのかを自覚することが大切です。

3.交わりに生きる訓練

男と女が結婚して生きるのは、夫婦としての交わりに生きるためです。男も女も人格を持った存在です。彼らが交わりに生きるとき、互いの存在、互いの心を大切にしていきます。つまり愛し合います。神さまは人間に交わりに生きる訓練として、夫婦というものを与えました。夫婦に子供ができれば、親子の交わりに生きる訓練を神様から与えられたことになります。そして教会は神の子たちが交わりを持ち、互いに愛し合うために神さまによって集められた集いです。人は様々な人間関係の中におかれて生きます。生きるとは、他者との交わりに生きることです。

4.信仰を神との交わりと考えないと

神さまとの交わりに生きる道は、右と左が断崖となっている細い道を歩くのに似ているような気がします。うっかり足をすべられると谷に落ちてしまいます。片方の谷は、神は人間に奉仕すると考える谷です。他方の谷は、人は神に奉仕をすると考える谷です。信仰を神さまとの交わりと考えないと、私たちはどちらかの谷に落ちてしまう危険があります。

第一の谷は、神が人間に奉仕することを求めます。神は私のためにおられるのです。神は私の人生の味方をしてくださる方です。祈ることは自分の願いばかりです。私の幸せのために神さまは働いてくださると考えます。自己中心的な信仰です。

第二の谷は、神に対する奉仕に全力を注ぐことを求めます。人は神のためにいるのです。私たちは救われたのだから、神に仕え、教会に仕え、伝道を行い、奉仕を行い、神に仕えていくのです。神に仕えるべきだ、教会の働きに仕えるべきだと言われると反論できません。神中心、教会中心と言えば、聞こえはよいですが、信仰に生きることがだんだんと重苦しくなっていきます。ここには神さまへの愛はありません。