ルカ福音書 24章13~27節 生けるキリスト

2024年4月4日

(内容)

  • 二人の弟子がエマオ村に向かって歩いていた。そこにイエスが現れ、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。

(黙想)

  • エマオ途上の弟子たちにイエスが近づいて話しかけた。 しかし彼らの目が遮られていたので、イエスだと分からなかった。
  • この二人の弟子は、イエスが「イスラエルを解放してくださる方」と望みをかけていた。つまりローマの支配からイスラエルを解放する方と考えていた。政治的、軍事的なメシアを期待していた。
  • しかしイエスはそのようなメシアではない。彼らの目が遮られていたとは、メシア理解が違っているからイエスが分からなかったと理解できる。
  • 二人の弟子は、女性たちが「イエスは生きておられる」と告げたことをイエスに語る。するとイエスは「物わかりの悪い者たち」と語る。物わかりが悪いとは、「預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」とあるように、預言者の言葉を信じないことである。イエスは三度ご自身について、苦難の死と三日目の復活を語っていた。これも預言である。これを弟子たちは信じなかった。
  • イエスが復活したとは言い換えると、主は生きておられる、ということである。イエスの復活を信じるとは、主は生きておられると信じることである。私にとっても、主は生きておられるのである。もちろんイエスはその姿を現すわけではない。主は生きておられる、それをどう理解し、どのように信じて信仰に生きるのか。

ガラテヤ 2:19
わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

  • 使徒パウロは、キリストはわたしの内に生きておられると語る。

ヨハネ 14:23
イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

  •  イエスは、私のうちに来て下さり住んでくださるとある。

ローマ 6:6~8
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
死んだ者は、罪から解放されています。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

  • 罪から解放されてキリストと共に生きるとある。
  • 僕は、今生きておられる主と共に生きていると告白することが求められるのではないか。どのように主と共に生きているのか、証しすることが求められていると感じる。「主は今生きておられる」と語るなら、どのように主が生きておられる現実を自分は生きているのか、自分の信仰の歩みを振り返り、証しすることができるし、しなければならないと教えられる。

(聖書の教え)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスは今生きておられる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエスは今生きておられることを証しすること。それは自分の信仰を確かめるためである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。イースタのメッセージは、「主は、今生きておられる」です。主が生きておられる現実を自分はどう生きているのかと問われます。
  • 言が人となられたのがイエスです。私は神の言葉を拠り所として生きています。神の言葉を土台として物事を考えています。このことは言である御子が、私の内におられること、私の内に生きて導いてくださっていることと理解します。
  • 私は洗礼を受け、キリストに結ばれる者となり、古い自分が死んで、新しい自分が生きていると信じています。新しい命を与えられ、生まれ変わって生きていると信じます。御言葉に生きる新しい自分。罪から解放された新しい自分が生きていると信じます。キリストの御手の中で、キリストのご支配の中で、キリストが私の内に生きておられると信じます。
  • そして福音を宣べ伝えるという召しを与えてくださったこの召しに私は生きています。この召しはキリストの遺言ではなく、今生きておられるキリストの召しであると信じます。
  • 天の父よ、私は、イエスは今生きておられると信じます。私は生きておられるイエスと共に生きていると自覚します。このことを文章に書いて自覚したいと思います。
☆与えられた導き
  • 主が生きておられる現実を自分の証しとして文章に書いてみる。
  • 「主は今生きておられる」の歌で賛美する。