第一テサロニケ 3章6~10節

2020年7月21日

(内容)

  • パウロはテサロニケ教会の人たちを励ますためにテモテを送った。そのテモテが戻ってきて、うれしい知らせをもたらしてくれたと、パウロたちは大きな喜びに満たされた。

(黙想)

  • テモテはテサロニケ教会の人たちの信仰と愛についてうれしい知らせを伝えてくれた。テサロニケ教会の人たちが苦難に遭っても動揺することなく信仰に立っていることを聞いたと思われる。愛については、テサロニケの人たちは「愛のために労苦し」ていた(1:3)。「兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません」(4:9)とあり、テサロニケの人たちが互いに愛し合っていたと想像できる。苦難の中にあっても、テサロニケの信仰者たちは、互いに励まし合っていたと思われる。
  • これを聞けば、パウロたちが大きな喜びを抱いたことは容易に想像できる。どのような感謝を神にささげたらよいのでしょうかと喜んでいる。このようなテサロニケの人たちの歩みを聞いて励まされ喜んだパウロは「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、私たちは生きていると言える」と語った。
  • 「今、生きていると言える」。これは喜びの表現か。黙示録に「生きているとは名ばかりで」という言葉があった。それは生きていても、生きていると喜び、誇ることができない状態を指している。「今生きている」とは、本当に自分は使命を達成できていて生きているという充実感、喜びがあるという思いが表現されている。幸せな伝道者の姿がある。
  • そして「あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと夜も昼も祈っている」と書く。テサロニケの人たちのことを聞いて、さらに励ましたいと願うのは、伝道者としてのパウロの思いが溢れている。
  • 苦難の中にあってもテサロニケの人たちが主に結ばれていることを知ることができてパウロたちは大いに喜んだ。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • (教え)パウロたちはあらゆる困難と苦難に直面しながらとある。福音を宣べ伝える者は、どんな時も困難と苦難に直面しているのではないか。目に見える迫害はないかも知れない。しかし福音宣教を妨げる世の力は大きいのではないか。
  • (模範)パウロは、テサロニケの人たちの信仰に必要なものを補いたいと夜も昼も祈っている。本当に大切なことのために夜も昼も祈る。これは模範である。
  • (模範)主にしっかり結ばれているテサロニケの人たちは模範である。テサロニケ教会の人たちはみな主に結ばれている、すばらしいことだ。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、パウロたちはあらゆる困難と苦難に直面しながら、と語っています。あらためて日本の状況の中で福音を伝えることは大きな困難があると思わされます。困難が大きすぎて見えなくなるということがあるのではないかと思います。迫害がないので苦難に見舞われているという実感はないかも知れませんが、圧倒的な世の力により伝道は困難に直面していると思いました。それゆえ、あなたが御言葉のために門を開いてくださる(コロサイ4:3)ことを祈りたいと思いました。特に今私が礼拝出席している教会のために、また引退してから説教奉仕をした教会のために、かつて牧会した教会のために祈りたいと思いました。
  • またテサロニケ教会の人たちは苦難の中にあっても信仰に立ち、励まし合っていました。パウロはその様子を聞いて大いに喜びました。テサロニケの人たちが主に結ばれていることを知り、「今、私たちは生きていると言える」と喜びました。私たちもこのように信仰に立ち、励まし合う交わりに生きることができたらと願います。
  • 今、私が出席している教会の祈祷会は、インターネットを利用して、互いの顔を見ながら、共に祈ることをしています。新型コロナ感染予防のために、共に集うことはできず、お互いの近況も聞くこともできず、寂しさを感じます。お互いの近況を語り合い、信仰的な励まし合いができればいいなと思いました。そこで提案をしてみたいと思いました。
☆与えられた導き
  • 祈祷会に関して提案をする。
  • 伝道の門が開かれるように祈る