ローマ 6章20~22節 永遠の命に至る
2023年11月24日
(内容)
- キリスト者は罪から解放され、聖なる生活の実を結び、永遠の命に行きつく。信仰者の幸いを告げる言葉。
(黙想)
- 「義に対しては自由の身」という表現がある。聞き慣れない表現である。パウロによれば、人は罪の奴隷か、義の奴隷かどちらかである。罪に対して自由になれば、つまり罪の奴隷状態から解放されれば義の奴隷となる。
- 義に対して自由であるとは、義の奴隷状態ではないことを意味する。言い換えると、罪の奴隷状態を意味する。ここの表現は、人は、罪か義か、どちらかの奴隷であることを明確にしている。
- 義に対して自由な時、どんな実りがあったかと問いかける。罪の奴隷であったのだから、罪の実しか結んでいない。義の奴隷となって結ぶ実は何もなかった。義の奴隷となる時、それは聖なる生活となり、聖なる生活の実を結ぶことになる。
- 聖なる生活の実とは何か。聖霊の実と考えると、ガラテヤ書にこのように書かれている。
ガラテヤ 5:22~23
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
- 聖なる生活の実を結ぶようにとの勧めは、12章1節でこのように言われている。
ローマ 12:1
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
- 22節では、キリスト者は罪から解放されて神の奴隷となり、と書かれている。神の奴隷は、聖なる生活の実を結び、永遠の命に至ると教えられる。永遠の命に行きつく、うれしいメッセージである。
- 罪の奴隷から解放され、義の奴隷・神の奴隷となり、聖なる生活の実を結び、永遠の命に行きつくというキリスト者の歩む道筋が語られる。
- それなりにこの道筋を歩んできた者として、「永遠の命に行きつく」とのメッセージはうれしい。
- 義の奴隷、神の奴隷であることは、自分が自分の人生の主人公ではないことを意味する。人生は自分の幸せのためにあるのではなく、神に仕えるため、神に喜んでもらうためにある。それは神によって最高に生かされる人生でもある。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>自分が義の奴隷、神の奴隷であるとのアイデンティティーに立つこと。
- <約束>永遠の命に行きつくとの約束がある。
- <勧め>聖なる生活の実を結ぶこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書を通して、「行きつくところは、永遠の命です」。うれしいメッセージです。このうれしいメッセージを今日は受け取ることにします。
- この喜びを歌う讃美歌があれば、賛美したいと思います。永遠の命を喜ぶ讃美歌を探してみたいと思います。
☆与えられた導き
- 永遠の命を喜ぶ讃美歌を探す。
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讃美歌490,217
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