ローマ 6章17~18節 義の奴隷

2023年11月6日

(内容)

  • 伝えられた教えの規範を受け入れたキリスト者は罪の奴隷から解放され、義に仕える者、義の奴隷となった。

(黙想)

  • 人間には二つの立場しかない。アダムに属する者つまり罪の奴隷という立場か、キリストに属する者、義の奴隷という立場か、どちらか二つしかない。自分は誰の奴隷でもない、自分は自由な存在であると語る人は、自分を絶対視する。現実の自分を無条件でよしとする。物事を自分の思い通りにしたいと考える。それは「自分」の奴隷であり、罪の奴隷である。自分が変わる可能性を考えていない。自分が悔い改める可能性を考えない。これは自分を神とする偶像礼拝者であり、罪の奴隷とである。
  • キリスト者はかつては罪の奴隷だったが、伝えられた教えの規範を受け入れて罪から解放された。私たちにとって、伝えられた教えの規範とは、パウロがロマ書で語っていることである。特に3章から6章までに書かれていることが教えの規範に当たると言ってよい。
  • ここで注目するのは義に仕える者、義の奴隷という言葉である。義の奴隷、どういうことか。「義」という言葉は、「信仰によって義とされる」という3章の言葉において出現している。イエス・キリストへの信仰により、私たちは義とされている。私たちキリスト者は神の前に義なる者であると私たちは信じる。これはキリスト者のアイデンティティーでもある。
  • 次に義という言葉が出てくるのは、5章17節である。

ローマ 5:17
一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。

  • ここでは義の賜物とある。義の賜物の第一は、信仰によって義とされていることである。「義の賜物を豊かに受けている人」とは、義とされたことを確かに信じている人と言える。あるいは義の賜物とは、たとえば神との間の平和(5:1)を考えることもできるか。そしてその人はイエス・キリストを通して、生き、支配するとある。
  • そして5章21節。

5:21
こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

  • キリスト者は以前は、罪によって支配されていたが、今は、恵みの支配の中にある。キリスト者は恵みの支配下にある。それは「義によって」とある。信仰によって義とされるという恵みをキリスト者は受け取る。この恵みの下にキリスト者は生きる。キリスト者は神の約束に生きる。
  • 神の約束は6章にさらに書かれている。洗礼を受けた者は、キリストに結ばれている。これも約束。そしてキリスト者においては実現している。さらにキリスト者は、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きている。これも約束であり、実現している。このような神の約束は恵みであり、この恵みがキリスト者において実現する。神の約束を信じて生きるとは、神の恵みの支配の下に生きることを意味する。
  • では義の奴隷とは、どういうことか。恵みの支配に従うことである。かつて罪は強制的に私たちを支配して、私たちを罪の奴隷とした。しかし恵みは強制的には支配しない。神の約束こそ恵みであり、神の約束を信じる者に対して約束の実現は恵みとなる。神の約束を信じる人は、恵みの中にいる。恵みの支配下にある。
  • あるいはこうも言えるかも知れない。義の奴隷とは信仰によって義とされることを徹底する人である。神の約束に対して心を開き、信じ受け入れていく人。神の約束に敏感な人。神の約束を大切にする人。義の奴隷とは、神の約束を信じることに徹する人。信仰に徹する人。
  • 自分は罪を犯すから義とされていると言ってよいのか、自分は、罪深いから義とされていると言ってよいのか、と疑問を持ったりして、義とされていることに徹することができない人は、神の約束に立って生きることができていない。疑いを持ったとしても、それにも関わらずなお、神の約束を信じる生き方をしたいと考える。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は約束をもって私たちを導き、約束によって私たちを恵みの支配下に置くことのできるお方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>義の奴隷として、神の約束を徹底して信じる歩みをする。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
  • 今回気づかされたことは、私たちは恵みの支配の中に生きており、恵みの支配下に生きる人を義の奴隷とパウロが呼んでいるのではないかと教えられました。恵みという言葉を私たちはよく使いますが、恵みの支配下にあるという表現はしません。それは恵みの支配下にあるとの信仰告白ができていないからです。
  • あらためて恵みの支配について、考えたいです。これは5章で語られていたことですが、5章のデボーションでは、通り過ぎてしまったように思います。恵みの支配について、5章を読み、思いめぐらします。
☆与えられた導き
  • ロマ書5章を読み思いめぐらす。