ローマ 6章16節 神の奴隷

2023年10月20日

(内容)

  • 私たちは罪に仕える奴隷になって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るかどちらかである。

(黙想)

  • パウロは、人は、罪の奴隷か神の奴隷かどちらかと語る。奴隷という言葉に私たちは反感を覚える。自分は奴隷ではない。自分は自由だと考えたくなる。人は自分を第一に、自己中心的に、利己的にものを考える。
  • パウロは、誰かに奴隷として従えば、その従っている者の奴隷になると書く。言い換えると人は自分の奴隷となっている。自分を第一とする自分の奴隷である。世の中の争いの多くは、自分を正しいと主張する者同士の争いである。
  • 自分が自分の奴隷であることに人は気づかない。自分の思い通りに生きようとしているから。自分の思い通りに生きようとするのは自分の奴隷なのである。聖書に従えばこれは、自分を神とする偶像礼拝となる。なかなかやめることができない。これもまた罪に仕えることにつながる。
  • 神と共に富に兼仕えることはできないとイエスは教えた。同様に神と自分に兼ね仕えることはできない。キリスト者であるなら、神に仕える奴隷になって義に仕えるという正しい選択をしたい。
  • キリスト者のアイデンティティーは豊かであることも覚えなければならない。神に仕えるとは父なる神に従うことでもあり、神の子として父なる神に信頼して生きることであり、父の愛の下に生きることでもある。神の奴隷とは、父なる神に従順に生きることを言う。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神に仕える奴隷であると認めること。言い換えると神に従順に生きること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、あらためて神と人間の関係を羊飼いと羊に例える聖書の記述に共感します。人間は羊であり、羊はひとりでは生きていけません。羊が独りで行動すれば迷います。誰を羊飼いとして生きるかです。
  • わたしはあなたを神とし、イエス・キリストを救い主として生きることを選びます。これまでもそうしてきましたし、これからもそのようにして歩みます。神に仕える神の奴隷として生きていきます。神の奴隷、これを自分のアイデンティティとして生きていきます。なぜ、自分は神の奴隷であることを自分のアイデンティティーとするのか、文章を書き、このアイデンティティーに生きることとします。
☆与えられた導き
  • 神の奴隷をアイデンティティとする理由を文に書く。