マルコ福音書 9章1節 神の国が力にあふれて
2022年7月12日
(内容)
- イエスは「ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる」と言われた。
(黙想)
- イエスはなぜ、このような言葉を言われたのか。どんな意味で言われたのか。具体的にどんな出来事を指しているのか。
- イエスと一緒にいる者の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまで決して死なない者がいるとイエスは語る。
- この後イエスは十字架で死に、三日目に復活し、さらに弟子たちの上に聖霊が下り、弟子たちはイエスを宣べ伝えた。その記録が福音書、使徒言行録などに書かれている。ここでイエスが語る、神の国が力にあふれて現れる事態を見る者がいるなら、それは聖書に記録されていると言ってよいのではないか。
- 今イエスは群衆を弟子たちと共に呼び寄せて教えている(8:34)。
- イエスの弟子たちが見たのなら、必ずや、聖書に記録されているはずだ。弟子たちが伝えないはずがない。なぜなら神の国が力にあふれて現れるというのは素晴らしいことである。それを秘密にしておくことは考えられない。
- 弟子たちは見ずに、群衆が見たらどうなのか。群衆は、自分たちの体験をおしゃべりするだけであり、福音の進展には役に立たない。
- 神の国のあらわれを見るのは弟子たちと考えることができる。とすれば神の国が力にあふれて現れるとは、イエスの復活以外には考えられない。
- イエスはご自分の死と復活を語った。弟子たちは理解しているようには思えない。イエスが死ぬなんて、そんなことはあってはならないと思う。まして死者が復活するなんて見たことも聞いたこともない。だからペトロはイエスをいさめた。しかしイエスは「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と叱った。
- そこでイエスは復活のことを別の表現で語った。神の国が力にあふれて現れると。後になって、復活のイエスに出会った弟子たちは、イエスがこのように語ったことを思いだしたのではないか。
- 8章の最後で、イエスは「人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来る」と語っているが、これは終末の出来事であり、神の国が力にあふれて現れる事態ではないだろう。
- イエスが語られたことは、私たちに理解しがたいことでもまずは受けとめることが大切である。信じられないと拒んではいけない。たとえばイエスが父の栄光に輝いて天使たちと共に来るという、イエスの再臨。これは終末の出来事であるが、私たちはこれをどう受けとめるのか。信じているのか。ただ信じるだけではなく、これを信じることにより、私たちの生きる姿勢が変えられているのかどうか。心のどこかでイエスの再臨の話しは避けていないか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
<御子>イエスは、神の国が力にあふれてくるのを見る者がいると語られた。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、この箇所の主イエスの言葉をどう理解したらよいのか、明らかではありません。ある人は、直前の8章38節で主イエスは再臨のことを語っており、この箇所は、主イエスの再臨の近いことを前提とした言葉と考えます。初代教会の人たちは主イエスの再臨は近い、神の国の到来は近いと考えていたので、この言葉があると理解します。
- しかし主イエスの受難を前にしての場面であることを考えると、終末における神の国の実現を語っているとは考えにくいと思います。主イエスは神の国の表れという表現で復活を語られたと理解します。
- 弟子たちは主イエスの復活を受け入れることができませんでしたが主イエスは復活しました。主イエスの再臨は現代人にはすぐには受け入れがたいことですが、信仰者として信じます。「わたしとわたしの言葉を恥じる者は・・・」と主イエスは語られました。それゆえ、主イエスの再臨を待ち望む者となります。
- 今日は、再臨を語る聖書箇所をすべて列挙したいと思います。再臨が神さまの計画としてあることを確認したいと思います。
☆与えられた導き
- 再臨を語る聖書箇所を列挙する
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Mt 16:27,25:31 Mt24:27,37,39
Mk 8:38
Lk 17:30,21:27
Act 1:11
1cor 1:7,15:23
Col 3:4
1Th 4:16 2:19,3:13,4:15,5:23
2Th 1:7 2:1,8
1Tm 6:14
2Tm 4:1,8
Tt 2:13
2Pt 1:16,3:4
1Jn 2:28,3:2
Hb 9:28
Rev 1:7