マルコ福音書 9章2~8節 これに聞け
2022年7月14日
(内容)
- 主イエスは3人の弟子を連れて高い山に登った。イエスの姿が変わり、モーセとエリヤが現れ、さらには神の声が聞こえてきた。
(黙想)
- イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登った。なぜイエスはこのような行動をしたのか。おそらくイエスはご自分が復活することについて何かを弟子たちに伝えようとしたのではないか。御自分が十字架で死んでも復活し、メシアとしての働きを全うすることを伝えたかったのではないかと思う。弟子たちは死者の中からの復活とはどういうことか、まだ分かっていない。
- 実際に高い山に登ると不思議なことが起きた。これはイエス自身が引き起こした出来事とは思えない。雲が現れ、雲の中から声がしたという。これは父なる神の声であろう。これと似た声は、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時にも聞こえてきた。この時は、イエスに向けての声であった。ここでは弟子たちに向けての声であった。
- イエスは、この不思議な出来事が起きると知っていたのか。父なる神の指示を受けてこの高い山に登ったのか。それは分からない。弟子たちに自分の死と復活を伝えたかったことは確かである。
- 山に登った時、不思議なことが起きて、「これはわたしの愛する子、これに聞け」との声が響いた。弟子たちはこの声を聞いた。
- イエスの姿が変わり、服は真っ白に輝いたとある。イエスが神的存在であることを示している。そしてモーセとエリヤが現れ、イエスと話し合っていた。何を話し合ったのか。ルカ福音書では、エルサレムでの最期について話し合っていたとある。マルコは、話し合いの内容を書いていない。
- モーセはイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放する時の指導者。イスラエルの民を約束の地へと導いた。神の民イスラエルが誕生した。イスラエルの民は神と契約を結んだ。エリヤは、イスラエルが偶像礼拝に陥った時に、登場し、まことの神が誰であるかを示し、当時バアルに仕える者たちを排除した。
- 弟子たちは現れたのがモーセとエリヤだとどうして分かったのか。そう思わせるような風貌をしていたのか。彼らがイエスと話し合っている内容を聞いて分かったのか。話題はイエスの最期についてであると想像できる。
- 弟子たちには、「これはわたしの愛する子、これに聞け」という言葉が心に残ったのではないか。8章31節以下で、イエスが御自分が殺され、三日目に復活されることを語られた。そのことを受けとめるようにとの神の声を弟子たちは聞いたことになる。この場面でイエスは一言も言葉を発していない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>「これに聞け」と弟子たちにメッセージを送られた方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>「これに聞け」との声に従い、イエスに聞くこと。イエスが排斥されて殺され、復活することが神の計画であると理解すること。
- <教え>モーセとエリヤがイエスと話し合っていたとは、旧約聖書が、イエスの救いと関係のあること、旧約において、メシアの待望が語られていることを教えている。
(神の導き)
☆祈り
- 今日読んだ聖書には不思議な出来事が語られています。大切なことは弟子たちに向けられた「これに聞け」とのあなたの言葉です。主イエスはいよいよエルサレムに向かいますが、弟子たちにご自分の死と復活について語られました。弟子たちは理解できないでいます。この場面では、不思議な出来事を通して、神さまは弟子たちに主イエスの語ることに聞くように語られています。
- 「これに聞け」。私たちにとっては、聖書に聞け、となります。
- 天の父なる神さま、私は今ロマ書にある「神の義」について思いめぐらしています。宗教改革者のルターの解釈は有名であり、また大きな影響を与えています。しかし彼の解釈に感じるところがあります。そんな私に「これに聞け」、つまり聖書に聞けと促しを与えられたように思います。パウロが語る「神の義」について、学びたいと思います。
☆与えられた導き
- 神の義について学びを続ける。