コロサイ書 4章7~18節

2020年6月23日

(内容)

  • 手紙を閉じるにあたっての挨拶文。パウロとコロサイ教会の人たちの交わりが感じられる。

(黙想)

  • パウロは、ティキコとオネシモをコロサイに送り、コロサイ教会の人たちを励まそうとしている。パウロはコロサイ教会の人たちを慰めようとしている。牧会者の姿がここにある。
  • アリスタルコ、マルコ、ユストは割礼を受けたユダヤ人で、神の国のために共に働き、パウロにとって慰めとなっている人たちだと紹介されている。
  • さらにエパフラスは、コロサイ教会の人たちが完全な者となり、神の御心をすべて確信するようにと執り成しの祈りをしている。手紙の最後で、私が捕らわれの身であることを心に留めてくださいと語る。
  • パウロにとって神の国のために共に働いている人の存在は慰めだという。人は慰めを必要としている。同労者の存在は、慰めなのだ。僕にとっての慰めとなる人たちは誰だろう。志を同じくする人たち。今はブログを読んでくれる人たちの存在は慰めだ。ブログを読んでいる人が誰なのか、知らない人たちもいるが。読者の存在は慰めであり感謝である。
  • 娘夫婦は伝道者である。そして身近にいる。僕は彼らにとって慰めの存在なのか。彼らは僕にとっての慰めの存在なのか。僕自身が彼らにとって慰めの存在となるという課題があるのか。確かなことは彼らを支えるために祈ること。福音を宣べ伝える働きが十分にできるように祈ること。
  • 神の国のために働く。尊い使命だ。牧師の働きは引退したが、神の国のために働くという思いは今も持っている。持ち続けたい。
  • エパフラスはコロサイ教会の人たちが完全な者となるように、神の御心をすべて確信するようにと執り成しの祈りをしている。そして「このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています」(1:28)とパウロは自身のことを語っている。「完全な者」とはどのような人なのか。パウロはどう理解しているのか。クリスチャンとしてのアイデンティティーに生きることを意味しているのかも知れない。
  • 「しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました」(1:22)。コロサイ教会の人たちはイエス・キリストを信じ、聖なる者というアイデンティティーを与えられた。エフェソ書によれば、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1:4)。聖なる者というアイデンティティーに生き、聖なる者として成長していく、それが完全な者になることと言えるのかも知れない。生きている限り完全な者を目指して生きることになる。とすれば、僕も聖なる者として成長すること、完全な者となることを目指したいと思う。エパフラスは執り成しをした。今僕が「完全な者となるように」と執り成しをすることができるのは、妻だ。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • (模範)牧会者としてコロサイ教会の人たちを慰めようとするパウロの姿。
  • (模範)アリスタルコ、マルコ、ユスト。彼らは神の国のために共に働いている。また彼らはパウロにとって慰めとなっている。同労者の存在は慰めである。
  • (模範)エパフラス。彼はコロサイ教会の人たちが、完全な者となり、神の御心をすべて確信するようにと執り成しの祈りをしている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。パウロはコロサイ教会の人たちを慰めようとティキコ、オネシモを彼らのもとに遣わします。牧会者パウロの姿を見る思いがします。私は牧師を引退したので、直接牧会する人はいません。しかしブログで発信をすることは、会うことはできませんが、クリスチャンの人たちを慰めることにつながるのではないかと思いました。慰めを伝えるブログでありたいと思いました。慰めを伝えるブログとなるように、神よ、導いてください。
  • 神の国のために共に働くアリスタルコ、マルコ、ユストはパウロにとって慰めでした。私にとってブログを読んでくれる人の存在は慰めです。感謝と、「御言葉のために門が開かれるように」祈りをお願いする文章をブログに書いてもいいかなと思いました。
  • 娘夫婦が伝道者として身近にいます。私は彼らにとって慰めの存在になれればよいと思いました。でも今は、彼らの働きのために祈っていくことを大切にしたいと思います。特に福音を明確に説教できるように祈りたいと思います。
  • またパウロが労苦したのは、コロサイ教会の人たちが完全な者となるように知恵を尽くして諭し教えています。完全な者とはどのような存在なのか、正確には分かりませんが、聖なる者となることと考えました。天の父よ、私と妻がそれぞれ、聖なる者として成長していけるように導いてください。御言葉によって導き、成長させてください。祈り続けます。
☆与えられた導き
  • ブログの感謝と祈りのお願いの文章を書く
  • 伝道者である娘夫婦のために福音を明確に語ることが出来るように祈り続ける。
  • 妻と私が聖なる者として成長できるように祈っていく。