マルコ福音書 4章26~29節 ひとりでに成長する種
2021年11月2日
(内容)
- 神の国のたとえ。神の国は一人の人が種を蒔き、実ったら収穫をするようなものだとイエスは語る。
(黙想)
- イエスが話したとえはこうである。人が土に種を蒔く。その種は芽を出して成長する。やがて穂を出し、実りをもたらす。すると収穫する。種を蒔いた人は、どうして種が芽を出し、成長するか知らない。知らなくてもよい。知らなくても種は実りをもたらす。種を蒔いた人は実りを刈り取ることができればいいのである。
- この短い話しが神の国のたとえだと言うが、どんなたとえになっているのか。神の国の何をたとえているのか、明確ではない。いや分からない。
- イエスは神の国は近づいたと語り、宣教のわざを始めた。病気を癒やしたり、悪霊を追い出して、神の国の到来のしるしを見せた。そして人々に教えた。種まきのたとえは、宣教のたとえになる。土地が悪ければ実らないし、良い土地なら実る。宣教は必ず成功するとは限らないが、実りは約束されている。宣教の成功は、神の国に生きる人が増えることを意味している。次のからし種は、神の国の広まり、宣教の働きの拡大が示されている。
- ではこの、種を蒔いたら実り、収穫するという話しは何を意味しているのか。わからない。イエスの活動によって神の国は始まった。そして世の終わりが来て、神の国は到来する。イエスが再臨し、神の国が到来する。このたとえは神の国がやがて到来するというたとえなのか。
- あるいは神の国の宣教は始まった。神の国の進展はとまることはない。神の国は始まり、終わりの完成を目指して進む。とどまることはないというのか。種の場合は土が実りをもたらすが、神の国の場合は、神がその前進を支え導いていることになる。
イエスの語られた内容を十分に理解できないので、この箇所のディボーションは、ここでで中止。