マルコ福音書 4章33~34節 聞く耳を持つ
2021年11月15日
(内容)
- イエスは人々にたとえで御言葉を語られた。弟子たちにはたとえの真意を説明した。
(黙想)
- イエスは人々の聞く力に応じてたとえを語られたとある。「聞く力に応じて」とはどういうことなのか。聞く耳のある者は聞きなさい、ともイエスは語られた。
- 人は関心のあることは聞くが、関心のないことは聞かないし、聞いても聞き流してしまう。御言葉も然り。一度聞いてもう聞かないと思う人もいれば、もっと聞いてみたいと思う人もいる。聞きたいと思う人が聞いたことを理解するようになる。
- 弟子たちとは、み言葉を理解したいと思う人と考えてよいのではないか。その人にはイエスが説明をし、弟子たちは理解するようになる。そしてイエスが説明されるとは、御言葉は信仰をもって受け入れるようになることを示している。御言葉を真理として受けとめ、生き方が変えられることを意味する。
- 十字架でのイエスの死は、私たちの救いをもたらすものであるとの説明は、言葉の上では理解できても、イエスの死が自分の救いであると受けとめることができるとは限らない。求める者が救いを得る。御言葉とは、求める者に理解され、その人の生き方を変え、その人を救うものとなる。
- たとえは、その内容は分かりやすいが、たとえが何をたとえているのかを理解することはむずかしい。説明を必要とする。人はさらに聞こうとするのか、否か問われる。
- キリストの十字架の死の意義、意味もまた追求する人にその意味が開かれる。イエス様が現代の私たちの教えることはないが代わりに聖霊が導いてくれる。聖霊の導きによって、我々は十字架の意義を真に理解できることを思う。
- ガラテヤ書にこうある。
6:14
しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。
- キリストの十字架を知るとは、キリストの十字架以外に誇るものがないことを意味する。十字架以外に何か誇るものがあるとすれば、十字架を本当の意味では理解していないことになる。福音は求める者に真の姿を現すと言えるのではないか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>たとえで語られる方。聞く耳のある者が聞くがよいと語る方。たとえの真の意味を知って欲しいと願う方。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、イエス様は真理を人に押しつけず、求める者に真理を伝える方です。何が何でもすべての人を真理を信じる者にしようとは考えていません。そのことに共感を覚えます。人間はみな罪を犯す者であり、だれもが福音を求めるとは限りません。求める者にしっかり伝えていく、いいなと思います。
- だからこそ、真理に生きる喜び、福音に生きる喜びを明確に伝えていくことが必要ですね。私は牧師の働きから引退しました。福音をすべて知っているとは言えません。キリストの十字架以外のものは誇りませんと断言できる人、キリストの十字架の意義を知り、その恵みに浴しているのかと考えるとまだまだ不十分であると思います。
- 今は説教に追われることもなくなったので、聖書の学びを楽しんでいます。自分自身納得できるように十字架を探求していますが、感謝して続けていきたいと思います。この探求は、残りの生涯の課題と受けとめます。老いの日々の単調さに花が咲くような思いがします。気持ちを新たにすることができ感謝します。
☆与えられた導き
- 十字架の探求をあらためて課題として受けとめる