マタイ福音書 6章10節(2)
2020年10月16日
(内容)
- 「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」。主が教えられた祈り。
(黙想)
- 主イエスは「天の父なる神の御心が天において行われるように地上において行われるように」祈ることを教えられた。主イエスは神の御心が地上で行われることを願うようにと我々に教える。
- では今、この地上世界に対して、神はどのような御心を持ち、それが行われることを願っているのだろうか。我々は神の御心を神から直接知ることはできない。しかし我々は神がいかなる方かを聖書から教えられている。また主イエスは福音を世界中に宣べ伝えるように弟子たちを派遣した。また主イエスの教えも聖書に記録されている。だから神の御心を想像することはできる。想像できるなら、そのことが地上で行われるようにと具体的に祈ることができる。
- さらに神の御心はどのようにして地上で行われるのか。私たちとは関係なく神ご自身が行われるのか、それとも神は人を用いて御心を行われるのか。人を用いる場合、それは私なのか、それともだれか他の人たちなのか。
- 神が私(個人)もしくは私たち(教会)を用いて御心をなそうとしておられるなら、それを行うことは大切となる。私または私たちを用いて、神が御心を行われるなら、その御心とは何かを知ることは必要となる。
- 私たちを用いてなそうとする明らかな神の御心がある。それは福音宣教の業である。主イエスが弟子たちにお命じになった業である。また愛のわざも神は私たちに求めておられるだろう。
- 僕は今は教会に対する責任は負っていない。一人の信仰者として教会に関わり、一人の信仰者としてこの世に生きている。一人の信仰者としての私に神は何をすることを求めておられるのだろうか。
- 一つ気になることはこの国の政治である。権力を持った政治家は、自分の思いを貫こうとして、そこには野心も加わり、人間としての良心を忘れてしまっていることを感じる。すべての権威は神に由来します。政治家として権力をゆだねられているのは、神からゆだねられているのである。しかし悪魔は、私を拝めば世の繁栄を与えると誘惑する。権力を得た政治家は、自分の力を誇示し、自分の名誉を追求し、神から権力をゆだねられていることを忘れる。良心さえ捨てる。政治家の答弁を聞いていると、正直に答えない、誠実に答えない、答えることを拒否する、ごまかす、すり替えることを平気で行っている。政治家のためにどのように祈ればいいのか。
- この国における福音宣教という教会の働きはどのように行われているのか。神はよくやっていると教会を評価されるのか。それとも教会が自分たちの歩みを謙遜に自己批判し、新たな歩みを目指すことを期待しているのか。
- 大切なことは自分が、自分たちが神の御前に福音を伝えているか否かである。工夫をして、力を尽くして伝えているかである。
- そして僕は牧師の務めを隠退した。一人の信仰者として生きている。教会の働きのために祈ることは大切な務めだ。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)天において、そして地上において、御心を成すお方である。
- (御父)私(たち)を用いて御心を行う方である。
☆神が私たちに求める生き方
- (勧め)神が私たちになすように求めていることを行うこと。神に仕え、神に用いられることを大切にする。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読み、思いめぐらすことができ感謝します。今日は特に二つのことを考えました。政治家のためにどのように祈るのか。もう一つは伝道です。テモテの手紙でパウロは、王や高官のために祈ることを勧めています。どのように祈るのか、それは時と場合によって異なると思います。これまでも祈ってきましたが、その祈りにでいいのかなと思うようになっていました。今日、あらためて思いめぐらし、政治家が権力という魔物に取り憑かれないで、良心に従ってその務めを果たすことができるように祈ることにします。
- 伝道については、教会の働きのために祈っていますが、これは継続します。個人的にはブログで聖書のメッセージを発信しているので、これも継続します。そしてこの国の伝道が大きく進展するために、神さまの大いなる介入を祈り求めることにします。世の力は圧倒的に大きいです。教会を助け、導いてください。
☆与えられた導き
- 政治家のために新しく祈る。
- この国の伝道のために、神の介入を祈り求める。