第一コリント 6章12~20節

2020年10月15日

(内容)

  • パウロはコリント医教会に対して、みだらな行いを避けなさいと忠告する。その理由として、私たちの体はキリストの体の一部であり聖霊の宿る神殿であり、娼婦と交わり娼婦と一体となって体に対して罪を犯してはならないと語る。

(黙想)

  • 教会宛の手紙で、娼婦と交わってはならないとの警告が書かれていることに少々驚く。しかし教会には「わたしたちにはすべてのことが許されている」と教える教師たちがいたらしい。それで娼婦と交わる者たちがいたようである。
  • パウロは「わたしたちにはすべてのことが許されている」との言葉を認めつつも「すべてのことが益となるわけではない」「わたしたちは何事にも支配されてはならない」と戒める。人間の欲を戒めている。
  • 大切なことは、キリスト者はキリストの体の一部であること。教会はキリストの体であり、キリスト者はその一部であること。キリスト者はキリストに結ばれた存在であること。
  • キリスト者がキリストに結ばれることには二つの面がある。教会というキリストの体の一部としてキリストに結ばれているという面。今ひとつは個人的にキリストに結ばれ、キリストとひとつにされること。これについては、キリスト者はキリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きているという面(ロマ書6章)。
  • 17節の「主に結びつく者は主と一つの霊になる」という言葉は、キリスト者の個人的な面について語っているように思える。
  • 娼婦と交わるとは、自分の体を娼婦の体の一部とすることだという。キリスト者はキリストの体の一部であり、娼婦の体の一部となってはならない。娼婦と交わる者は、娼婦と一体になる。キリスト者はキリストに結びつき、キリストと一つの霊になる。
  • 娼婦と一体となることとキリストと一体になることは両立しない。一体となることの神秘を思う。今の時代、芸能人の既婚男性が妻以外の女性と関係を持ち、そのことが露見し、離婚に至るということをよく耳にする。妻の側からすれば、不倫した夫とはもはや一体になれないとの思いがあり、離婚を決意することになる。一体であるとは何か。
  • アダムとエバは、結ばれて一体となったと聖書は書く。一体となるとは一生を共に生きて行くという関係に入ることを意味するのではないか。それは愛し合うことを意味し、愛するとは自分を与えることである。一体となることには、深い意味がある。重大なことである。一生を共にし愛し合うことを貫くことを意味する。
  • キリスト者は神と結ばれて生きる。そしてキリスト者は聖霊が宿る神殿である。ある意味キリスト者は神と一体になり、神との交わりに生きる。神に愛され、神を愛して生きる。それは一生の課題である。
  • 娼婦と関係を持つことは不道徳な行為として咎められるだけではなく、信仰的に見て神との交わりを破壊する行為、神と一つになって生きる信仰の歩みを破壊する行為である。
  • 我々はこの体で神の栄光を現す。これは神の栄光を現すべく生きると言い換えてよいと思う。
  • パウロのよく使う言葉がある。「知らないのですか」。私たちは聖霊が宿る神殿であり、もはや自分自身のものではない。このことを知らないのですか、とパウロは語る。「知らないのですか」は言い換えると「知るべきである。是非知って欲しい」との意味が込められている。
  • キリストを信じて生きていても、キリスト者は自分が誰なのか分かっていないということが起きている。自分は自分のもの、と考えて生きているキリスト者は少なくないだろう。でも人のことはどうでもいい。僕自身が聖霊が宿る神殿と信じ、自分は自分のものではなく、神のものであると信じて生きているかが大切だ。
  • キリストによる贖いには罪の赦しの面だけでなく、買い取られて神のものになったという面がある。語られることは多くはないが、大切なことだ。
  • 「神の栄光を現す」。すてきな言葉だが、僕を圧倒するような言葉である。僕は何らかの形で信仰者であることを体現(証し)するような生き方をすればよいと思っている。明確に信仰に生きる、それが神の栄光を現すことだと思っている。主イエスのように奇跡を行って神の栄光を現すようなことは、簡単にはできない。神を証しして生きる、それが僕には精一杯の神の栄光の現し方だと思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (聖霊)我々の体を神殿とし、我々の内に宿ってくださる方。
  • (御子)キリストは主として、私たちと結びついてくださる方。私たちは主と結ばれ、一つの霊となる。
☆神が私たちに求める生き方
  • (警告)みだらな行いを避けること。
  • (教え)聖霊の宿る神殿、これは僕のアイデンティティー。
  • (教え)私たちはキリストの贖いにより、買い取られて神のものとされた。
  • (勧め)神の栄光を現すこと。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日はとても大切なことを読んだ思いがします。一体となることの神秘を思います。男と女は夫婦となり、一体となります。愛し合い、生涯を共に生きていきます。それは自分の一番大切なものを相手に与えて生きていくことです。夫婦が一体となるとき、自分の伴侶と共に生きて、自分の人生に悔いはないとの覚悟と期待があります。
  • 娼婦と交わる、それは単に不道徳な行為というだけではなく、自分が大切にするものをいい加減に扱うことのように思います。そして私たちは主と結ばれて、主と一つの霊になるとあります。キリストを信じて生きること、そこに自分の人生の意義を見いだして生きることを教えられます。キリストに愛され、キリストを愛して生きる、キリストとの交わり、神との交わりに生きることを教えられます。それは神の栄光を現すことに他ならないと考えます。
  • 天の父よ、どうぞキリストの愛をもっと教えてください。心で深く感謝し喜ぶことができるように。それが今のわたしの願いです。
☆与えられた導き
  • キリストの愛をさらに深く知ることができるように祈り続ける。