第一テサロニケ 2章1~12節

2020年7月7日

(内容)

  • パウロはテサロニケで福音を伝えた頃のことを思い出し、その頃のことを振り返っている。するとパウロの心には、感謝の思いが湧いてくる。パウロにとってテサロニケ伝道は感謝と喜びに満ちていたと思わされる。

(黙想)

  • パウロたちは「激しい苦闘の中で」(2:2)、「労苦と骨折り」「だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら」(2:9)福音を伝えた。また神から福音をゆだねられているので(2:4)、自分の名誉のためではなく(2:6)、ただ神に喜ばれるために(2:4)福音を伝えたことを語る。また宣教に対して不純な動機はなかったことも伝えている(2:3,5)。また母親が子供を大事に育てるようにテサロニケ教会の人たちを愛おしく思い、自分の命を与えてもよいと思うほどに愛した(2:8)。また父が子にするように、神の御心にそって歩むように励まし慰め、強く勧めた(2:12)。また使徒としての権威を主張しなかった(2:7)。また福音を宣べ伝える者として敬虔に、正しく、非難されないように振る舞った(2:10)。伝道者としてのすばらしいパウロの姿が伝わってくる。
  • さらに「ご自身の国と栄光にあずからせようと神はあなたがたを招いている」と最後に書いている。
  • パウロは伝道者としての自分の心をよく見ている。どんな動機で宣教をしているのか。迷いや不純な動機はなく、ごまかしもない。また人に喜ばれようとせず、人間の誉れを求めなかった。むしろ敬虔に、正しく、非難されることにないように、福音の証人として、キリストの証人としてふさわしく行動していることを語っている。これだけ自分の心を観察、確認していることはすごいと思う。自己批判する心もあるのだろう。
  • 伝道者として、母や父がそうするように、福音を伝える相手を愛する、これも模範である。ただパウロは年齢的には成熟した大人であると思う。若い伝道者が自分の両親のような年代の信徒をパウロのように愛するわけにはいかないだろう。むしろ年配の信仰者を敬意をもって接することが大切となるだろう。
  • 今僕は牧師を引退し、インターネットを用いて信仰の証、福音の証しをしている。そんな自分の心に「人に喜ばれる」(2:4)ことを求めたり、「人間の誉れを求める」(2:6)思いが忍び込んでくることがある。これはその都度追い払わなければならない。自分を動かす動機がなんなのか、自分をキリスト者としてふさわしく保つ秘訣は何か。パウロは模範である。パウロが模範となるのは、彼が神の国を目指しているからではないか。地上の事柄に執着しないからこそ、あの姿勢で宣教できたのではないか。
  • すると神は、「ご自身の国と栄光にあずからせようと招いている」との言葉が重みをもって迫ってくる。引退するまで、結局地上のことしか考えてこなかった。引退し自分の行く末を思い、自分の死を受け入れることが本格的に課題となり、先を見るようになった。終末信仰が課題となってきた。
  • 神は、「ご自身の国と栄光にあずからせようと招かれる」。この場合の栄光とは何か。テサロニケの手紙の最後にはこのように書かれている。

5:23~24
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。

  • ひと言で言えば、聖なる者とされて御国に迎えられる、それが信仰者の栄光ではないかと思う。

3:13
そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。

  • だから、神が私たちを救いに導いたのは、「汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです」(4:7)。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は「ご自身の国と栄光にあずからせようと招く」方。キリストを信じるとは、神の国と栄光にあずかることである。
☆神が私たちに求める生き方
  • <模範>パウロは、自分がどんな動機で福音を宣べ伝えているか知っている。人には、その人を動かす動機というものがある。それが健全な動機か否か、チェックすることは益となる。特に牧師としての自分の姿勢の吟味につながる。
  • <模範>愛の心でもってテサロニケの人たちに伝道し、牧会するパウロの姿勢。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま。パウロは自分の心をよく知っています。自分がどんな動機で宣教しているのか。その動機は神の前にふさわしいのか、よく知っています。ふさわしくない心で説教している教師たちを見てきていると思います。
  • 私は牧師の務めを引退しましたが、自分がどんな動機で生きているのか、どんな動機でインターネットで発信しているのか、自分の心を探るように促されました。自分としては福音の証人、キリストの証人として発信しているつもりです。そこに人間の誉れを求める思いが時に忍び込んできます。その都度追い払うようにはしていますが、これは一つの戦いです。私を励ましてください。御国を目指す者としてふさわしい動機で発信できるように助け導いてください。祈りの課題とします。
  • また今回あらためて確認しましたが、キリスト者のこの世の歩みの一つの目標は、聖なる者となり、御国に迎えられることにあると教えられました。聖なる者となることをもっと真剣に努力します。聖なる者となることを勧める聖書の箇所を確認します。聖なる者として御国に迎えられるイメージを心に描きたいと思います。そのようなイメージを歌詞としている讃美歌を歌いたいと思います。讃美歌280を英語で賛美します。
☆与えられた導き
  • 御国を目指す者にふさわしい動機で、インターネットに発信できるように、祈り続ける。
  • キリスト者が聖なる者となることを勧める聖書の箇所を確認する。
  • 讃美歌280番(英語)で神を賛美する。
    My hope is built on nothing less than

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「聖なる者」について聖句の区分

  • 1.キリスト者が聖なる者となるのは神の御心である。
  • 2.キリスト者は洗礼において聖なる者とされている。
  • 3.キリスト者はさらに聖なる者となるように歩む
  • 4.キリスト者を聖なる者とするのは、御言葉、聖霊、祈りである。
  • 5.終末の日、キリスト者は全き聖なる者とされて御国に迎えられる。
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1.神の御心
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  • エフェ 1:4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
  • 一テサ 4:3 実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。
  • ヘブル 13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。

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2.キリスト者は聖なる者とされている
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  • コロ 1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。
  • コロ 3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
  • ヘブル 10:10 この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。
  • ヘブル 10:14 なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。

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3.キリスト者は聖なる者として歩む
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  • ロマ 6:19 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。
  • ロマ 12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
  • 二コリ 7:1 愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受けているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。
  • エフェ 5:3 あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。
  • 一テサ 4:7 神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
  • ヘブル 12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
  • 一ペト 1:15 召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。

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4.キリスト者を聖なる者にするもの
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  • ヨハ 17:17 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
  • 二テサ 2:13 しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。
  • 一テモ 4:5 神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。

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5.終わりの日の完成
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  • 一テサ 3:13 そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
  • 一テサ 5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。