第二コリント 6章14節~7章1節 私は神の神殿

2021年9月17日

(内容)

  • 異教との関わりを断ち、キリスト者として肉と霊の汚れから自分を清め、神の神殿として、神を畏れ、聖なる者を目指そうとの勧め。

(黙想)

  • この段落は文脈として前後とは関係ない独立した断片となっている。なぜここに挿入されているのかは分からない。独立したテキストとして向き合うことにする。
  • キリスト者は神の神殿であり、神の神殿にふさわしく生きることが勧められる。肉と霊の汚れから自分を清めるように、神を畏れて完全に聖なる者を目指そうと勧められる。異教社会の中にあってキリスト者として生きて行くことが勧められる。
  • ここで大切なことは、神は、私たちの父となってくださる神であり、私たちはこの神の息子であり、娘であるということ。神は天という遠いところから私たちを見ているというのではなく、私たちと親子関係を結んでくださる。そして神は私たちの内におられる。私たちは神の神殿であるので、肉と霊の汚れを避ける必要がある。神の子としてふさわしい歩みをすることが大切。完全に聖なる者を目指そうと言われる。
  • 現代の日本は異教社会である。さまざまな欲望が渦巻いている社会でもある。聖なる者、つまり神に属する者として、ふさわしく歩むことは大きな課題である。
  • 肉の汚れとは肉の欲に従うこと。霊の汚れの一つの例は傲慢になること。傲慢とは神よりも偉くなろうとすること。霊的汚れになる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>私たちの神となってくださる方である。
  • <御父>私たちの父であり、私たちを息子、娘としてくださる神である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>私たちは神の神殿であり、神殿としてふさわしく生きること
  • <勧め>肉と霊のあらゆる汚れから自分を清めること

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書を読んで、自分が神の神殿であることが心に留まりました。第一コリント6章には「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神の神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」とありました。さらに「自分の体で神の栄光を現しなさい」とパウロは書いています。私の気持ちとしては、「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清める」ことよりも、あなたの栄光を現すことに心を向けたいです。
  • 今の私にできることは、神さまの恵みを証しすること、福音を証しすることかと思います。書くことによって伝えることによって、あなたの栄光を現すことができますように願います。これからもブログを書き続けます。導いてください。書くべき事柄を教えてください。
☆与えられた導き
  • 書くべきことを祈り求めつつブログを書き続ける。