第一テサロニケ 5章23~28節
2020年8月18日
(内容)
- 手紙の最後の挨拶。「あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように」と祝福が祈られる。
(黙想)
- パウロは、テサロニケの信者たちを祝福して祈る。神が彼らを全く聖なる者としてくださるように。これは主が再臨された時に成就する事柄である。
- この世にあっては、テサロニケの信者たちの霊、魂、体が何一つ欠けたところのない者として守ってくださるように、そして主イエス・キリストのおいでになる時、非のうちどころのない者としてくださるようにと祈る。これは最初の祈り、聖なる者として下さるようにとの祈りと重なると思う。
- そして「あなたがたをお招きになった方」、つまり信仰へと招いた神は、真実な方で必ずその通りにしてくださるとパウロは語る。主がおいでになる時、神は私たちを聖なる者、非のうちどころのない者にしてくださるとの確信をパウロは語る。これを信仰者は目指して生きる。
- 霊と魂と体。人間を三つの点から理解する。人間は肉体を持つ。魂を持つ。魂には、理性、感情、意志がある。そして霊。これは神との交わりに関わる部分である。信仰のない者の霊は働かない。この霊と魂と体が欠けたところのないものとなるように、神の守りをパウロは祈っている。信仰者にとっては、神との交わりに関わる霊の部分の働きが大切となる。そのためには、神の言葉と親しむことが重要となる。だから僕はこうしてデボーションをしている。
- 魂も健全な者となるために聖書に親しむ。この世の影響、悪しき者の働きかけは強いので、聖書に親しみ、魂が健全な働きをするように神の助けを求めつつ、自分でも聖書に親しむことが大切。
- そして最も大切なのは、主のおいでになることを待ち望むこと、そして自分が聖なる者、非のうちどころのない者とされることを待ち望むこと。この待ち望みがあるから、この世にあって、これを目標にして生きることができる。
- 聖なる者となることについて復習。「実に神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです」(4:3)。「神がわたしを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです」(4:7)。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>神は真実な方で、必ず、信仰者を終わりの日に聖なる者、非のうちどころのない者にしてくださる。
- <御父>私たちの霊、魂、体を欠けのないものとして守ってくださる方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>パウロたちの働きのために祈る。福音を宣べ伝える者のために祈ること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父、今日も聖書を読むことができ感謝です。主がおいでになる時に、あなたが私を非のうちどころのない者としてくださることを信じます。それ故、現在さらに聖なる者として歩むことができるように導いてください。聖なる者とは、あなたのみ言葉によって生きる人を指すと理解します。私はディボーションを通して、あなたのみ言葉によって歩んでいると考えます。これからもディボーションを続け、聖なる者として歩み続けることができるよう導いてください。
☆与えられた導き
- 聖なる者を目指し、終わりの日に非のうちどころのない者とされることを待ち望む者となるように祈る。