第一テサロニケ 1章1~4節
2020年6月26日
(内容)
- パウロは祈りのたびにテサロニケ教会のことを思い起こして神に感謝していること、そして感謝の根拠として、テサロニケ教会の人たちの信仰と愛と希望を心に留めていると書く。
(黙想)
- 現代の私たちとの違いを思う。現代においては、教会には牧師がおり、信者がいる。パウロの時代、教会に牧師はいない。パウロは手紙を書き、信仰を指導している。私たちには聖書があるが、当時、人々は自分の聖書など持っていない。しかしこの箇所を読むと当時の信者の生き生きした様子を感じる。
- テサロニケの信者たちは信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐している。そしてパウロはそのことを知り心に留め、祈りのたびにテサロニケ教会を覚え、神に感謝の祈りをささげている。
- テサロニケ教会の姿から何を学ぶことができるのだろうか。信仰による働き、愛の労苦、希望をもってする忍耐が模範にできると思う。ここには信仰、希望、愛という大切な言葉が現れている。教会が、どのように信仰と愛と希望に生きるかという課題がある。そして個人の信者がどのように信仰と愛と希望に生きるかという課題もある。そして僕は、どう信仰と愛と希望に生きるのか。
- 信仰に基づく働き。労苦を伴う愛。忍耐を伴う希望。老いた信仰者として、引退して牧師として、自分は信仰によってどのように働き、労苦を伴い愛に生き、忍耐を伴う希望に生きてきたのか、振り返ってみることも大切ではないか。少なくとも神さまの導きがあるのだから。後ろを見ること少なく、前を見て歩いてきた。一度は振り返り、きちんと神さまに感謝する必要があるのではないか。このことが今後の励みになるのではないかと思う。
- パウロはテサロニケ教会のことを祈りのたびに思い起こしているという。僕も祈りのたびに思い起こして祈る教会、信仰者たちがいる。パウロは思い起こして感謝をささげている。執り成しの祈りをするとき、祈る教会、祈る信仰者たちとの関わりを覚え、感謝の祈りをしてみたいと思う。
- 「あなたがたが神から選ばれていることを知っています」とパウロは語る。なぜこのような一文をここに添えたのだろうか。他者が神から選ばれていることを人はどのようにして知るのか。自分の選びについても人は、「自分は選ばれていると信じています」とは語るが、「私は自分が神に選ばれていると知っています」と語る人は少ないのではないか。まして他者が神に選ばれていると「知っている」と語るのは、すごいと思う。牧師が教会員に向かって、「私はあなたが神に選ばれていると知っています」と言うとしたら、それは励ましのためと思う。しかし「どうして分かるのですか」と問われたら何と返事をするのか。テサロニケ教会の場合は、彼らの信仰の働き、愛の労苦、希望をもってする忍耐を見て、パウロはそう判断していると思うが。パウロはなぜ「知っている」と言えたのか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御父>神は信仰者を選び、愛される方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>信仰による働き、愛の労苦、希望をもってする忍耐。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝します。テサロニケ教会の人たちは、信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐していました。そのことをパウロは知っており、テサロニケ教会の人たちの信仰をあなたに感謝しています。
- これを読んで思いました。私の信仰者としての人生、牧師としての人生において、私がどのように信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐して歩んできたのか、それを振り返ってみたいと思いました。そして私の歩みを導いてくださった神さまに感謝したいと思いました。
- また日々の祈りの中で、覚えて祈る教会があり、覚えて祈る人がいます。パウロは感謝をもって祈っています。覚えて祈る教会や覚えて祈る人たちとの関わりを感謝しながら祈りたいと思いました。
☆与えられた導き
- 自分の歩みを、信仰、希望、愛という点から振り返る。
- 感謝を覚えて執り成しの祈りをする。