ローマ 4章18~24節 信仰の父アブラハム
2023年1月5日
(内容)
- アブラハムは年老いてもなお神の約束を信じ続けた。その信仰を神は義とされた。アブラハムのことは私たちのために書かれている。
(黙想)
- 24節の私たちのために書かれているという言葉が印象に残る。アブラハムは希望するすべもなかったときに、なお望みを抱いて信じたとある。神の約束は、もう実現しそうにもないと思えるときにもなお信じた。徹底して信じたアブラハム。私たちのためにこのアブラハムのことが書かれているとパウロは言う。
- 聖書を読むとき、信じがたいことが書かれている。救い主が十字架で死んでしまう。死んだ人がどうして救い主なのか。世の常識からすれば、受け入れがたいことである。しかもその死んだイエスが、復活したという。死人の復活など聞いたことがないと世の人は言うだろう。洗礼を受けたキリスト者も、キリストの復活をすぐに信じることができるとは限らない。
- しかし、この信じがたいことを信仰者だからといって盲目的に信じることはよくない。それは自分で自分をマインドコントールすることになる。だからといってすぐに信じることができるわけではない。
- 聖書が語る終末の事柄は、現代人には、信じがたいことである。聖書が伝える信仰は、自分が信じることのできることは信じ、信じがたいことは信じないでよい、というものではない。それは中途半端である。信仰者の成長とは、信じる範囲が拡大することと言えるだろう。
- アブラハムは、子孫が増え広がるという神の約束を信じた。そしてイサクを授かった。神はそのイサクを献げるように命じた。イサクをささげても言い換えればイサクを殺しても、神はなお約束を実現することができるとアブラハムは信じた。彼の信仰の決断である。そして彼は信仰の父となる。聖書にアブラハムのことが書かれているのは、私たちのためである。
- 私たちは信じるように招かれている。聖書が語ることで信じがたいことがあれば、信じることができるように祈ることが大切だ。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>約束を実現する方
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>アブラハムは信仰者の模範である。神の約束を徹底して信じることの模範である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、私にとっての課題は、神の国です。そこがどんなところなのか知りたいです。神の国に迎えられることが私たちの希望ですから、それは自然な願いだと思います。しかし、聖書を読んでもよく分かりません。神の国に行って帰ってきた人はいませんから、わからないのは当然です。分からないことを信じるのは、苦痛です。
- 分からなくとも、神の国はすばらしいに違いありません。神の国がどんなところか分かるから信じるのではなく、あなたを信じて、神の国が良きものであると信じたいと考えます。アブラハムのように、あなたへの信頼を強めることができるように祈ります。
- 天の父よ、心からあなたを信じ、信頼する者にしてください。そのような信仰者になりたいです。
☆与えられた導き
- 神に対して深く信頼する信仰者になることができるように祈り求める。