マルコ福音書 4:35~41 信仰とは信頼
2021年11月23日
(内容)
- イエスは弟子たちと共に舟に乗った。すると突風が吹いて舟が沈みそうになった。弟子たちは慌てふためいてイエスに助けを求めた。イエスは風をしずめた。弟子たちに対して「まだ信じないのか」と言われた。
(黙想)
- 「まだ信じないのか」とのイエスの言葉が心に残る。突風で舟が沈みそうになり、弟子たちは怖くなり、寝ているイエスを起こして助けを求める。「私たちがおぼれてもかまわないのですか」とイエスを責めるような口調である。だからイエスも「まだ信じないのか」と咎めるような口調で応答したのかも知れない。つまり弟子たちがイエスを信じていれば、別な言い方をしたにちがいない。
- イエスは「まだ」信じないのかと言われた。弟子たちはこれまでイエスが病人を癒やし、悪霊を追い出すのを見てきた。舟が沈むかも知れないという危機にあってこのイエスなら助けを求めることができると学習し、イエスに信頼する態度をとることができた。でも弟子たちは学ぶことなく、イエスに信頼する態度を取らず、むしろイエスを責める口調でイエスに助けを求めた。だから「まだ」信じないのかとイエスから叱られた。
- 信仰とは信頼することであり、これは経験から学ぶことでもある。信頼して大丈夫だと学んで信頼し、信頼してさらに信頼心を強めることができる。
- 他方、人間は線を引き、この線を越えることは信頼するのは無理ではないかと考えたりする。この場合であれば、イエスは病気を治したり悪霊を追い出すことはできると考える。しかし風を静めたり波を静めるというような自然現象に対しては力を発揮することはできないだろうと思ったりする。
- 聖書の神は全能の神であるから、そのような線を引く必要はない。全面的に信頼して祈っていいのである。信仰とは徹底して信頼である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>信頼すべき方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>信頼して歩むこと。今、イエスに信頼して対処すべきことはないか。
- <勧め>自分は、神を、イエスを信頼してどのように生きてきたのか、振り返ってみる。それを証しとして書いてみる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日はあなたに信頼することについて思いめぐらしました。あなたへの信頼は、経験から学ぶことでもあることを思いました。信頼する行動を取り、信頼してよかったと学ぶ経験の積み重ねがあなたに信頼することを勇気づけます。しかし同時に、あなたは信頼できる方であると聖書は告げます。私たちがどれほどあなたに信頼できるかどうか、それが問題です。
- あなたに祈っても祈りが願い通りにならなかったという経験があると祈ることへのためらいが生じたりします。しかし願い通りにならなかったのは御心ではなかったのであり、そのことをわきまえ、常に信頼して祈り続けることができるように導いてください。
- 今日もこれから祈りますが、「あなたに信頼します」とひと言添えて祈ります。
☆与えられた導き
- ひと言添えて祈る。