フィリピ 2:1~11 へりくだるキリスト

2024年2月16日

(内容)

  • フィリピの教会員に「へりくだる」ことを勧める。その時パウロは、へりくだりの模範としてキリストを語る。

(黙想)

  • パウロは、信仰者はへりくだり、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、他人のことにも注意を払うように命じる。隣人愛である。このことを教えるのにキリストを模範として示す。キリストをいつも模範として考えるパウロはすぐれた教師であると思う。
  • 「それはキリスト・イエスにもみられるものです」と「へりくだり」は、キリスト・イエスに見られると語り、模範としてのキリストを示し、具体的に語っていく。

2:6~7
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

  • キリストは神であるのに、そのことに固執しなかった。それだけではなく、人間となり、僕(しもべ)となった。神であるなら、人々は畏れ敬う。しかし人間となれば、人々は敬うとは限らない。イエスは最後は死に追いやられた。
  • 人間的な言い方をするなら、キリストは神としてのプライドを捨てたのである。へりくだるとは、自分を低い位置に置くことである。プライドがあると、なぜそこまでしなくてはならないのかと考える。プライドは自分を他者より上に置こうとする。互いに相手を自分より優れた者とするなんて、プライドは理解できない。少しでも自分が優れていると思いたがるのがプライドである。このプライドを捨てる模範としてパウロはキリストを紹介する。
  • キリストは神であるのに人間となった。さらには僕(しもべ)の身分にさえなった、と。
  • 神であるのにキリストはなぜ、人間となったのか。それは人を救うためである。人を罪から救うために十字架の死を遂げるのである。キリストはいつ人間となり、十字架の死を遂げることを受け入れたのか。決心したのか。パウロはそのことは書かない。
  • 神の御子は人となった。イエスである。そのイエスは、救い主、メシアであった。メシアをギリシャ語でキリストという。神の御子は救い主(キリスト)として人となることを決意した。それはいつなのか。

エフェソ 1:4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

  • この神の決断を考える時、神は天地創造の前に人を救うために御子をキリストとして世に送ることを決めておられた。キリスト教の神観は、三位一体の神を信じる。父なる神、子なる神、聖霊なる神である。それぞれの神は、人格を持った神である。
  • 父なる神は子なる神つまり御子に、人を救うために人となり、最後には死を遂げることを提案した。神の人類救済計画において、神が御子に期待する役割があるのである。神であるのに人となり、最後に死んでしまうという役割を神は御子に提案した。御子はこれを受け入れた。なぜか。
  • 父なる神は人間を創造した。その人間は罪を犯している。神をないがしろにしている。でも神は人間を愛し、救おうとする。神は御子に役割を期待する。人となって僕(しもべ)の身分を取り、最後には死ぬという役割。しかも殺されるのである。神としてのプライドがあるなら、引き受けることはできない。しかし御子は受け入れた。なぜか。御子は父なる神を愛し、神による救済計画を支持した。御子もまた人間を愛し、人間を救おうとした。そして人となり、最後には死ぬことを受け入れた。神としてのプライドを捨て人となられた。ここにへりくだることの模範がある。
  • へりくだるためには、愛がある。互いに相手を自分より優れた者と考えるのは、相手に対する敬意、愛があるからである。へりくだりの模範はキリストに見るから、人はへりくだることができる。
  • キリストにへりくだりの模範を見て、この模範に倣うか倣わないか、人それぞれの決断である。パウロは、キリスト者なら倣うようにと勧める。へりくだりには、相手への敬意、愛がある。キリストもまた罪を犯す人間に対して、神が創造した人間であるとの敬意、愛を持っていたと考える。私たちは身近な他者に対して、このような敬意、愛を持つことができるのだろうか。持ちなさいとパウロは教えている。老人も子供も、私たちが向き合うべき人格を持つ相手である。
  • 受難節、キリストの苦しみを思う時、キリストのこのようなへりくだりに目を向けることも大切なことと思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>へりくだりの模範となる方。そこには人間への愛があり、父なる神への愛があり、父なる神の人間を救う計画への共感がある。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>他者を自分より優れた者と考え、自分のことだけでなく、他者のことも考える人になること。
  • <勧め>キリストの愛を感謝する。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日もディボーションできて感謝します。今日は直接的には聖書に書かれていませんが、へりくだりの模範としてのキリストについて思いめぐらすことができ感謝です。父なる神の御心に共感し、人類を救うために、自ら献身したキリストの愛を思います。キリストの愛を心にとどめます。きちんととどめることができるよう導いてください。キリストの愛を受けとめたしるしとして、へりくだった歩みができるように導いてください。
☆与えられた導き
  • キリストの愛、へりくだりを受けとめる。