第一コリント 2章6~16節(2)

2020年9月9日

(内容)

  • 神の知恵である、神があらかじめ定められたことは、聖霊の導きによって教えられる。自然の人は理解できないが、霊の人(信仰に成熟した人)は理解し受け入れることができる。

(黙想)

  • 10節。神が聖霊によって、神の知恵を私たちに示してくださる。つまり私たちは理解し受け入れることができる。神の事柄は聖霊によらなければ受け入れることはできない。
  • 12節。「神から恵みとして与えられているもの」とある。ここでは神の知恵を指すのではないか。つまり世界の始まる前から神が定めておられたことは、クリスチャンにとって恵みである。
  • 13節。私たちが神の知恵について語るのは、「霊によって教えられた言葉」によるのであり、「人の知恵に教えられた言葉」によるのではない。
  • どういうことか。私たちが神の知恵について語る時、私たちが使う言葉は、私たちが日常的に使っている言葉である。霊によって教えられた言葉で語ろうと人の知恵によって教えられた言葉で語ろうと、どちらも私たちが普段使っている言葉で語るのであり、それが霊に教えられた言葉なのか、人の知恵によって教えられた言葉なのか、表面的には区別がつかない。
  • しかし知識として神の知恵を知っている人と聖霊によって神の知恵を教えられた人が語るとき、違いがある。神の知恵によって教えられた言葉で語る人の言葉には、教えられているから語ることができるものがあり、これで区別ができる。証し的な要素が入ってくると思われる。つまりリアリティーが備わっているのである。
  • 14節。自然の人は、つまりクリスチャンでない人は、神の知恵を理解し、受け入れることはない。愚かに思える。クリスチャンでない人には終末が来るとか、神の裁きが行われるとか、こういう話しを受け入れることはできないし、愚かに見えるだろう。しかし霊の人(信仰に成熟した人)は大切なこととして受け入れる。
    16節。キリストの思いを抱いている。キリストご自身、神の知恵でもある。
  • パウロはコリント教会の人たちの思いを神の知恵へと引き上げようとしているのか。そうすれば対立、争いがなくなると考えている。
  • 霊的なものによって霊的なことを説明する(15節)。福音は霊的なものである。福音を伝えるとき、私たちはふだん使う言葉で語る。同時にそれは、霊に教えられた言葉でなければならない。聖霊の導きを得て語る言葉でなければ福音を伝えることはできない。
  • ブログで福音の証人として文章を書くときも、聖霊の導きを得ての言葉でなければならない。ブログを書くときも祈って導きを得ることが必要だ。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • (御父)神は神の知恵を私たちに教えてくださる方。今や明らかに示してくださっている。
  • (聖霊)聖霊は、私たちに神の知恵を知らせてくださる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • (教え)霊的なものによって霊的なことを語る。福音、神の知恵を語るとき、聖霊の導きを得ることが不可欠である。さらに証しとして語ることも大切だ。「霊に教えられた言葉」とは証しの言葉といえるのではないか。
  • (教え)クリスチャンはキリストの思いを抱く。信仰に成熟した者は、神の知恵を受け入れ、キリストの思いに生きる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、あなたが世界を始める前に定められたこと、世界創造におけるあなたの計画を聖書から理解したいと思いました。聖書から知りうる限りのことを知りたいと思います。毎日一時間をこのことのために使い、学びたいと思います。導いてください。

☆与えられた導き

  • 神の知恵を聖書から学ぶために、毎日一時間を使う