マタイ福音書 5章33~37節 神の前に誠実に生きる

2023年10月10日

(内容)

  • イエスは、昔の人は、偽りの誓いをするな、誓いをしたなら、それを果たせと言っているが、誓ってはいけない。「しかり、しかり」「否、否」と言いなさいと命じる。

(黙想)

レビ記 19:12
わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。

民数記 30:3
人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。

申命記 23:22
あなたの神、主に誓願を立てる場合は、遅らせることなく、それを果たしなさい。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求め、あなたの罪とされるからである。

  • イエスが「昔の人は」と語る時、それは律法学者やファリサイ派の人たちの律法解釈を指している。律法の命じることを実行するために、どういう場合にどうするのかと細かく決めたりする。
  • この箇所の場合は、昔の人が語ったことは律法が命じることto
  • ほぼ同じと考えてよいと思われる。そしてイエスは、誓いを立てることをすべて禁じる。
  • 上に引用した聖句は、誓いを破った場合、それは神の名を汚すことになる。また神の前に罪を犯したことになる。誓えばこのような事態を招くから、誓ってはいけないとイエスは教える。「私はそれを行います」「私はそれを行いません」と言うだけにしなさいとイエスは教えた。
  • イエスの意図はどこにあるのだろうか。神の名を持ちだして、私は必ずこれを行うと誓うことは、神を利用することになり、これは偽りの誓いと言える。誓ったことを行わなければ、神の名を汚すことにある。誓って自分に罪を招くことは避けたい。
  • 神の名を利用すること、神の名を汚すこと、自分に罪を招くこと、どれもしてはいけないことである。イエスはそのことを教えているのか。
  • 神に従って生きること、神に対して従順であることは誓うことではない。自ら進んで従順に生きればよいことである。神の前に生きるとは、自ら進んで、従順に生きることである。誓いなど必要はない。
  • 同時に人間は罪を犯す可能性があるから、誓うのはやめた方がよい。自ら罪を招く必要はない。大事なことは、神に対して従順に生きることを真剣に考えて生きることである。
  • 儀式に伴って誓うことがある。結婚式、牧師就任式などで、誓うことがある。もしくは約束することがある。これはどうなのか。公の儀式であり、神の名を利用する偽りの誓いにはならない。自分がみ心に従って責任もって歩むことを意思表明することは大切だと思う。「~することを約束しますか」と「~することを誓いますか」で違いがあるのだろうか。
  • 要するに、神の前に生きることを覚え、み心に誠実に従って生きればよいのではないか。有言不実行はいけない。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>自分が約束したこと、誓ったことを誠実に果たすこと
  • <警告>神の名を利用してはいけない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。主イエスは誓ってはいけないと教えられました。自分が語る言葉に対して責任を持って行動すること、あなたの前に従順に歩むことを教えられ感謝します。
  • このようにデボーションをして、適用を与えられています。適用を忘れていないかと迫られます。デボーションが終わったら、適用するべきことをノートに書いて、適用すべきことを忘れないように、また忘れていないかどうか、チェックできるようにしたいと思いました。あなたからの導きですから大切にします。
☆与えられた導き
  • 適用をデボーション終了後、ノートにメモし、適用を忘れないようにする。