マルコ福音書 4章10~12節 神にゆだねて種を蒔く

2021年10月7日

(内容)

  • 弟子たちが種まきのたとえについてイエスに尋ねた。するとイエスはイザヤ書の言葉を引用し答えた。イエスがたとえを語ったのは、人々が悔い改めて赦されることがないためである。

(黙想)

  • 11節で「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが」とある。イエスはいつ弟子たちに打ち明けたのか。
  • この箇所で弟子たちはたとえの意味が分からないでいる。この弟子たちはまだ打ち明けられていない。
  • この神の国の秘密が打ち明けられている「あなたがた」は私たちのことといってよい。つまりこのマルコ福音書の読者である。イエスは神の国の福音を宣べ伝えるためにおいでになったのである。そのことを1章で読んだ。イエスは病人を追い出したり、悪霊を追い出したりして、神の国の到来を示している。それは肉の目に見えることではない。イエスは神の御支配の中に生きるように人々を招こうとされている。
  • 4章1~9節で種まきのたとえを語り「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。この場面では、イエスが語られたのは、イエスの弟子たちとイエスの周りにいた人たちである。みな信仰を持っている人たちといってよい。この人たちは、神の国の秘密を知らされている人である。神の御支配の中に生きる人々といってよい。そして彼らは後にイエス・キリストを宣べ伝える者たちである。
  • イザヤ書からの引用は、預言者が語るのは、人々をかたくなにするためであるという内容で、不思議に思える。預言者は人々を悔い改めに導くために語るのに、人々を神から突き放すために語るというのは不思議。それは言い換えると、預言者が語ること、そしてイエスが語ること、弟子たちが語ることは、いつもすべての人に受け入れられるとは限らないことを伝えているのではないか。実際イエスの語ることをファリサイ派の人々や律法学者たちは受け入れなかったし、かえってイエスを殺そうとさえしている。種まきのたとえの説明の中で、3つの場所に撒かれた種は実りをもたらすことがなかった。
  • 宣教の御業はいつも成功することは限らないことをイエスは弟子たちに伝えているのではないか。しかしたとえの説明の中で、実を豊かに結ぶことは約束されている。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>宣教の御業はいつも成功するとは限らない。しかし実を結ぶことも約束されている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、時の流れの中で人は生まれ死んでいきます。教会に集う人も入れ替わります。だから教会は福音を宣べ伝え続けます。宣教はいつもうまく行くとは限りません。時代時代に応じて人々の置かれた状況が変わってきます。現代は、人間中心主義の時代です。宣教は簡単ではありません。しかし他方で人間の罪は変わることがなく、この世の有様は、人間の罪が満ちているということができます。人類はどんなに努力しても平和な生活、貧富の差を解消することができません。人間が救いを必要としていることは明らかです。
  • 天の父なる神さま、この歴史を支配しているのはあなたであると信じます。あなたは福音を宣べ伝えるように教会に命じています。教会はこの命令に従順に従います。どの程度成果を上げることができるか否か、それにとらわれる必要はないと信じます。ただ誠実に従い、最善を尽くすことが大切であると信じます。神様のご支配の中に私たちは置かれているので、それ以上のことは神さまのゆだねるべきであると考えます。
  • 17日に説教奉仕の機会が与えられています。福音を伝えたいと願います。あなたの導きを願うのみです。導いてください。語るべき言葉を与えてください。あなたの言葉を語ることができるようにしてください。
☆与えれた導き
  • 祈りつつ説教の準備をする。