第二コリント 4章16~18節 見えないものに目を注ぐ

2021年8月6日

(内容)

  • わたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされます。私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。この世での苦難は永遠の栄光をもたらします。

(黙想)

  • 「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていく。これは何を意味しているのか。
  • 「外なる人」とは何か。肉体のことか。この肉体は年齢と共に衰えていくことは確かである。パウロは別な聖書箇所で「古い人」に言及しているが、これは罪を犯す人間を意味しており、「外なる人」とは違う。イエス・キリストにあって「古い人」は死んだのであるから(ローマ6:6)、「外なる人」ではない。
  • パウロの伝道生活は波瀾万丈であり、肉体的にも苦しいものがあったと思う。「外なる人」はやはり、肉体を指しているのではないか。老いた者は自分が衰えの中にあると実感する。書簡を書いているパウロは老いていると思われる。
  • パウロはここで老いることを悲観しているのではない。むしろ逆に「内なる人」の充実を書いている。「内なる人」については、聖書の他の箇所でも言及がある。

ローマ7:21~23
それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

エフェソ3:16~17
どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

  • 「内なる人」とは、信仰に生きようとする「私」のことである。人格を持つ「私」である。自分の行動に責任を負う「私」である。この「私」には罪の働きかけがあるので、罪との戦いがある。「内なる人」、つまり信仰に生きようとする人は、善をなそうと思うが悪が付きまとっているとロマ書は言う。そして神はその「内なる人」を強めてくださるとエフェソ書は言う。
  • そしてこの「内なる人」は日々新たにされるという。信仰者は年老いても信仰の成長を遂げる。信仰者は神の国を目指して歩んでおり、年をとれば、御国を目指す歩みはより真剣になり、「内なる人」は日々新たにされていく。聖書を読むことに真剣になる。祈ることに真剣になる。福音に生きることに真剣になる。神さまのみ心を知ることに真剣になる。
  • 「私たちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」。信仰者は現実に艱難に遭う。でもそれは一時の軽い艱難であるとパウロは言う。これはパウロの実感のこもった言葉である。この手紙の11章にはパウロの労苦が書かれている。パウロは神の国を目指しているので、目指す途上の苦しみは軽いものとして忍耐している。信仰者の歩みは神の国を目指す旅であり、神の国に到着したとき信仰の旅は目的地に到達し、喜びに包まれる。栄光に包まれる。この栄光について、パウロは次のように表現をしている。

フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

  • 私たちはイエス・キリストの栄光あるからだと同じ形に変えられるという栄光を味わうのである。
  • 私たちは「見えないものに目を注ぐ」。それは、終わりの日に何が起きるのかに目を注ぐということである。信仰者は終わりを見て今を生きる。自分の死を意識し、残された時間を大切に生きる。終末の到来を覚え、御国を目指して生きる。御国に迎えられるのにふさわしい者となるように生きる。私たちは御国に迎えられるとの約束を得ている。だからこの約束を信じ、ふさわしい者になることを目指す。
  • 「見えるものは過ぎ去る」。この世のもの、この世の事柄は消え去る。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>私たちの「内なる人」を強めてくださる方。「内なる人」を日々新たにしてくださる方。
  • <御父>永遠の栄光を与えてくださる方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>見えないものに目を注いで生きる。
  • <勧め>艱難に直面しても悲観しない。永遠の栄光を思うこと。
  • <警告>見えるものにこだわらない。見えるものに心を支配されない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、聖書から「見えないものに目を注ぐ」ことを教えられます。いいかえると神の国に目を向けてこの世の旅路を歩むことをあらためて教えられます。感謝します。老いの中にありますが、幸い健康を守られています。それなりに元気に老いを過ごすことができます。これも老いを生きる一つの形ですね。感謝をしてこのように生かしてくださる神さまの栄光をたたえたいと思いました。15節には「豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです」とあります。讃美歌194番を賛美したいと思います。
  • 神さまに栄光を帰す歩みを続けたいと思いました。だからといって特別なことをするわけではなく、日々の歩みを確かなものとして続けていきたいと思います。今日は、見えないものに目を注ぐ生活を確かにすることができるように祈りたいと思います。
☆与えられた導き
  • 祈る