ガラテヤの信徒への手紙 3章1~14節

2017年7月21日

(内容)

救われるためには割礼を受けることが必要だと説く偽教師がガラテヤ教会にやってきて、教会を混乱に陥れています。アブアハムの子は「信仰によって生きる」こと、聖霊を受けたのは、福音を聞いて信じたからではないか、律法によって義とされることを願うなら、律法の全部を守らなければそれは無理だ、律法は信仰をよりどころとしていないなど、パウロは反論します。

 

(黙想)

  • 「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました」(ガラテヤ2:15)。律法の実践に誰よりも熱心だったパウロに認識の転換が生じました。イエス・キリストを信じる人は、「信仰によって生きる」との新しい認識です。「信仰によって生きる」とは、神を信じて生きるというのではなく、神の約束を信じて生きるとの意味です。これは新しい考えではありません。聖書が伝える信仰は、神の約束を信じて生きる信仰です。アブラハムもモーセも、神の約束を信じ、その約束の実現に向かって生きたのでした。信仰とは神の約束を信じ、その実現を求めて生きることにあるとパウロは気づいたのだと思います。
  • そして律法の実行と神の約束を信じて生きることの間には、救いの根拠をめぐって大きな違いがあるので、パウロは割礼を主張する人々に対して大反対をしたと推測します。
  • 律法の実践、ガラテヤ教会では割礼の実践を説くことは、救いの根拠・救いの確証を自分の手につかむことを主張することになります。つまり「私は割礼を受けている、私は神の教えを守っているから、だから私は救われている」と言って、救いの根拠を自分のうちに持つのです。自分の救いの保証を自分に手に持ち、安心するのです。中世の教会が免罪符を販売し、これを買えば救いは確実、天国に行けると主張したことに対して宗教改革者ルターは大反対をしました。救いの保証を手にできるという考えにルターも反対したのです。
  • 「信仰によって生きる」とパウロは語ります。私たちが救われる根拠・理由は、神の約束にあります。つまり「十字架の上で贖いの死を遂げたイエス様を救い主と信じる人を救う」、これが神の約束です。人間が救われるのはイエス・キリストの十字架の死があるからです。私たちはこの神の約束を信じて救われます。私たちが救われる根拠は、神の約束にあります。私たちには救われる資格などありません。だから私たちは信じて、つまり、恵みによって救われるのです。
  • 自分の行いによって救われるのか、神の約束を信じて救われる(恵みによって救われる)のか、大きな違いがあります。信仰生活にも、大きな違いが現れます。自分は救われているとの確証を持つと、信仰の成長はそこで止まります。免罪符を手にした人が、なんで信仰に励む必要があるでしょうか。もう救われているのですから。しかし、信仰によって生きる人は違います。神の約束を信じて生きるので、神の約束に目を向けます。神の約束に目が留まります。神は何を約束しているのでしょうか。

・信仰者は新しく生まれた存在、新しく造られた存在である。
・信仰者は罪清められた人となる。
・信仰者は聖霊を賜物として受ける。
・聖霊の導きを受けて生きることができる。

 

  • 自分が新しくされた喜び、罪から清められた感謝、聖霊の導きを受けて生きる喜び、そして神への賛美、これらの喜び、感謝、賛美が、教会の中で、なかなか聞こえてこない現実があります。罪を赦された恵みを感謝する声しか聞こえてきません。そして自分については、「罪深い者」と語るのです。それは何故かと考えます。
  • 私たちはイエス・キリストによって救われたと信じます。イエス・キリストの贖いによって信じる者を救うとの神の約束を信じて救われます。その時、「私がイエスを信じたので、私は救われている」と考えると、「私が信じた」ことが、救いの根拠となってしまいます。救いの根拠が神の約束ではなくなると、神の約束に目が向かなくなります。そうすると自分が新しく造り変えられることなど、考えもしないし、考えても自分の身に実現するとは思えないとか、自分には関係ないなどと思ったりします。
  • 「救われている」ことで満足してしまうと、信仰の前身・成長がストップします。これは霊的な病で、教会に蔓延しているように思います。福音を伝える者にとって、克服するにはあまりにも大きな壁です。どうしたらいいのか、めまいがします。教会の働きから引退はしましたが、この状態を見過ごしにしていいのか、と考えさせられます。「あなたはここで何をしているのか」との神さまの声が聞こえるような気もします。

(神の導き)

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です