第一コリント 3章18~23節
2020年9月23日
(内容)
- パウロは、自分を欺いてはいけないと書く。自分はこの世で知恵ある者と考えることは自分を欺くことだと指摘する。むしろ愚かな者になることを勧める。
(黙想)
- コリント教会には互いに指導者を立てて争い、対立があり、教会が分裂していた。パウロはこの状況をあらためさせるためにこの手紙を書いている。
- 最初に自分が遣わされたのは、福音を告げるためであること、キリストこそ、神の知恵、神の力であると伝えるためであったと語る。アポロやケファにしてもキリストを宣べ伝え、教会を立てるために仕える者である。コリント教会の信仰者たちは神の畑であり、神の建物、神殿であることを自覚すべきことをパウロは書いた。
- そしてこの段落で自分を欺き、自分を知恵ある者だと思うなと警告する。
- 知恵を誇るなら、神の知恵こそ誇るべきである。人間を誇ることがあってはならない。神の計画は、教会が神の畑となり、神の建物、神殿となることにある。教会はキリストが土台であり、しかもキリストが教会の頭(かしら)であり、信仰者はキリストの体の部分であり、信仰者たちは互いに愛に生きる。礼拝においては神が臨在される。
- このような教会に自分が属していることを思い、自分を、人間を誇ることをするなと言うのがパウロの気持ちか。この人間的な誇りから教会の中の争いが生じてきている。
- 21節以下、すべてはあなたがたのもの、・・・世界も生も死も、今起きていることも将来起こることも、一切はあなたがたのもの」とはどういう意味か。なぜこのようなことをここでパウロは書くのか。
- 現在起きていること、将来起きること、それは人間が制御できるものではない。生きることも死ぬことも、人間の思い通りになることではない。それなのに、それらが自分のものであるという。忘れてはならないのは、そのあなたがたは、キリストのものであり、神のものだということ。むずかしい。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)神の前でこの世の知恵は愚かなもの。
- (御父)知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえる。
☆神が私たちに求める生き方
- (警告)自分を知恵ある者と考え、自分を誇るようなことがあってはいけない。
- (教え)すべては私たちのものである。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、自分を賢い者と誇ることはしないとの教えは大切です。他者と折衝するとき、そのような誘惑に陥りやすいです。でも聖書から学び続けるとき、自分はまだまだ聖書を学びきれていない者であることをと思うとき、謙遜な思いに導かれます。それは感謝すべきことだと思わされました。感謝の祈りをしたいと思います。
- 「すべてはあなたがたのもの」とはどういうことなのか、わかりにくいです。「世界も、生も死も」私たちの思い通りにはなりません。むしろ私たちはこの世で起きること、生きることで悩み、死によって生を終わりにさせられます。
☆与えられた導き
- 感謝の祈りをする。