第一コリント 1章26~31節

2020年9月1日

(内容)

  • パウロは、コリントの人たちにキリストを信じた時のことを思い出すように勧める。それは自分が何も誇るものを持たない者であり、誇る者は主を誇るべきであると教えたかった。

(黙想)

  • コリント教会には争いがあるとパウロは知らされた。争い、対立は互いに自分の正しさを主張し合うところに生まれる。人間はそれぞれの考え、意見を持つものであり、皆が同じ考え、意見を持つことはない。そこで立場が違うから争うのか、互いの違いを認めつつ進むのか、問われる。教会の場合には、だれもがキリストにつながっているので、キリストを中心にして一つになることができる。
  • パウロはまずコリント教会の人たちがキリストを信じた時のことを思い出させる。コリントの教会の人たちは、無学な者であり、無力な者であり、無に等しい者であったと語る。それは知恵のある者、力のある者に恥をかかせ、地位のある者を無力な者にするためであったと語る。
  • しかしコリント教会の人たちの間に争いがあったということは、彼らは、自分の知恵を誇ったり、力を誇ったり、地位を誇ることがあったと思われる。もし本当に無学で無力で無に等しい者であると自覚していたら、争いなど起こりようがないと思う。自分を誇る思いがあるから、争いが生じるのである。
  • そしてパウロ自身かつては自分の出自を誇り、律法の実践という点で落ち度のない者と立派な信仰者であることを誇りにしていたのである。しかしキリストと出会い、自分が何ものでもないことを思い知らされたのである。
  • パウロはコリントで伝道し、コリント教会ができた。キリストを宣べ伝えたので、ある程度、信仰者たちは自分を誇る思いはなくなったと思っていたのではないか。また人間は、自分が無学で無力で無に等しい者であったとしてもプライド、誇りを持つ者である。プライドとプライドがぶつかり争いが生じる。
  • パウロ自身は、キリストとの出会いで自分を誇るようなことはなくなった。パウロから見るとキリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いになられたという。キリストは義となった。それはキリストを信じる者が義とされることを意味するだろう。キリストが聖となったとは、キリストを信じる者を聖とすることを意味するだろう。パウロは手紙の最初でコリント教会の人たちを「聖なる者とされた人々」と書いている。そしてキリストは贖いとなった。罪を贖ういけにえとしてキリストは十字架の死を遂げられた。
  • 信仰者とは、キリストによって罪赦され義とされた者であり、さらには聖なる者とされ、さらに聖なる者としての歩みをする者である。そのことをパウロはコリント教会の人々に思い起こさせている。私たちは神の前に罪を犯す者であった、また犯す者であるという点で、自分を誇ることはできない。罪のゆえに滅びる者であったのだから。
  • キリストは神の知恵。つまり十字架の死を遂げるものが救い主という神の知恵を自分に担った方。
  • こうして「誇る者は主を誇れ」と言われる。自分を誇り争い対立するのではなく主を誇れ。
  • 争いのある教会に対して10節で「勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いをひとつにして、固く結び合いなさい」と命じた。自分たちがキリストに結ばれていることをまず大切に考えなければならない。キリストの体につながっているのである。
  • 自分が召された時のことを思い起こしてみなさい。僕の場合、生きることの空しさ、死の恐れからの救いを僕の心は求めていた。そして自分の罪を思い知らされたことがきっかけで洗礼を受けた。自分が安心して生きることができるための土台を求めていた。自分の知恵で、自分の力で救いを求めたが得ることはできなかった。それは確かである。だからといって自分を誇りたいとの気持ちがないわけではない。それよりも自分を救ってくれた神さまを誇る気持ちのほうが大きい。自分を誇りたいとの気持ちはゼロではない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)知恵のある者、力のあるものに恥をかかせる方。地位のある者を無力な者にする方
  • (御父)無学な者、無力な者、無に等しいものを選ばれる方。
  • (御父)神はキリストを信じる者を、キリストに結び合わせる方
  • (御子)私たちにとって、神の塵、義と聖と贖いになられた方。
☆神が私たちに求める生き方
  • (勧め)召された時のことを思い出す。
  • (教え)誇る者は主を誇る。人は主を誇ることと自分を誇ることの間で揺れ動く存在。自分を無にし、主を誇れることは幸いである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、キリストは私たちの義と聖と贖いになりました。このキリストのおかげで私たちは救われました。キリストにより罪贖われ、私たちは義とされ、聖なる者とされました。あなたは天地を作る前から、私たちが汚れのない者、聖なる者となることを願われました。
  • 自分がキリストによって救われた者であり、人間的な誇りは一切むなしいものであることを教えて下さい。
  • 自分を誇りたく思う時、御自分を無にしたキリストを思わせて下さい。この方こそ、私たちの救い主であり、また私たちの模範であり、私たちが見倣うべきお方であると教えて下さい。
☆与えられた導き
  • キリストを思い、自分を誇ることの空しさを教えて下さい。キリストは私が見倣うべきお方であると教えて下さい。
  • このことをしばらく祈り続ける。