第一コリント 4章14~21節
2020年10月8日
(内容)
- これまでに書いた忠告は恥をかかせるためではないこと、そしてキリストに結ばれた自分の生き方を見倣うべきこと、なお高ぶる者への警告が書かれている。
(黙想)
- パウロは忠告をしたが、それはコリントの教会の人たちを信仰者として生んだパウロの父親としての思いから出たものであることを伝える。
- 忠告というのは、素直に受け取ってもらえるとは限らない。人にはプライドがあり、自分への忠告を素直に聞けない心がある。忠告を与えられた場合、自分のあり様が神の前にいかなるものであるのか、謙遜に考える必要がある。自分のあり方が神の前に問題があるなら、謙遜に忠告を受け入れることが大切となる。
- パウロはコリント教会の人たちに対して、「わたしに倣う者となりなさい」と語る。11章1節でも「私がキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と忠告している。
- ここでパウロは「キリストに結ばれたわたしの生き方」と書く。パウロはキリストに倣う生き方を模範と示しているので、わたしに倣うことにより、あなたがたもキリストに倣う者となることを告げている。
- コリント教会の人たちは、パウロがコリントで伝道していたときのパウロの姿、生き方を見ている。それは私たちには分からない。10~13節でパウロは、彼がどのような生き方をしたのか、少し書いている。このことを念頭に置いて、わたしに倣いなさいと言っているのか。それは分からないが、パウロはキリストに倣う者であると語っているので、10~13節はキリストに倣うパウロの生き方を伝えていると考えられる。
- キリストに結ばれた者の生き方、ここに私たちがいかに生きるべきかの指針があると思う。印象的な言葉である。新約聖書には、キリスト者の生き方がいろいろ書かれている。それらの基本は、キリストに結ばれた者としての生き方である。それ故、自分がキリストの結ばれた者であると認識することは大切である。きりすとにむすばれていることをよろこぶので、それにふさわしい歩みをする。それは喜びである。キリストに結ばれている、これはキリストの者のアイデンティティーである。このことは教えられなければならない。
- 僕はどうだろう。キリストに結ばれた者として生きるという認識がきちっとなされていただろうか。なされてなかった。そういう認識はなかった。キリストを信じる者としてふさわしく生きることは意識してきたと思う。「キリスト・イエスに結ばれた生き方」。これはとてもいい言葉だ。
- コリント教会の中には、パウロが来ることはないと高ぶっている者がいることをパウロは承知している。彼らに対して、「神の国は言葉ではなく力にある」ので、その力を見せてもらおうとパウロは語る。高ぶっている者たちの高ぶりが正当なものかどうか、パウロは問う。言葉つまり理屈ではなく、力を見せてもらおうとパウロは言う。「力を見せる」でパウロは何を考えているのだろうか。しかもそれは神の国の力である。
- コリント教会には聖霊の賜物を持っている人たちがおり、病気を癒やす賜物、奇跡を行う賜物もあると12章に書かれている。こういう賜物を持つがゆえに、人が高ぶるということは考えられる。しかし神の国の力、神の御支配の中に生きる力というなら、イエス・キリストを証しする力を考えてよいのではないか。パウロはコリントで、キリストの十字架がむなしいものとならぬように語った。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (模範)父親との自覚から親身になって忠告するパウロの姿。ここには使徒としてのプライドを誇る姿はない。
- (教え)自分自身キリストに倣い、私に見倣いなさいと言えること。これは福音を宣べ伝える者には必要なことだ。
- (教え)キリスト者はキリストに結ばれているとの自覚、アイデンティティーを持つことが大切である。この自覚が生きる時の出発点となる。原点である。
- (警告)忠告は謙遜に素直に受け入れること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書を通して、自分はキリストに結ばれた者として生きるとの自覚を教えられました。キリストに結ばれているとのアイデンティティです。今ブログで、このテーマで文章を書いていますが、あらためてこのアイデンティティーに立つこととします。
- パウロの生き方の基本は、キリストに倣うことでした。そして「わたしに倣いなさい」と書いています。パウロはどんな歩みを見倣えといったのでしょうか。10~13節に彼の歩みが書かれています。自分を無にして愛に生きるといえます。また13節には「世の屑」にされていると、自分のあり様を語っています。世の人々からは認められないのですね。
- 天の父、もし私が「わたしに倣いなさい」と語ることが出来るとするなら、私の何が人々の模範になるのかと考えます。また模範となるような生き方をしてきたのかと考えます。・・・・私は聖書を糧として生きてきましたし、今も生きています。これは見倣ってもらってもよいと思います。
- そして思います。「今自分がキリストに新しく見倣うとすれば、それは何か」と。天の父なる神であるあなたとのさらに深い交わりかもしれません。あなたとの交わりに関わる本を読んでいますが、これを終わりまで読み、適用するところがあれば適用したいと思います。
☆与えられた導き
- 本を最後まで読む