ローマ 5章12~14節(2) アダムは結ばれた者たち
2023年3月22日
(内容)
- アダムは来るべき方を前もって示す者である。人はアダムに結ばれ、罪を犯す者となった。
(黙想)
- パウロはアダムによってこの世界に罪が入り、死が入り込んだと語る。すべての人が罪を犯し、死ぬ者となった。5章の後半を見れば、パウロは明らかにアダムとキリストを対照的な人物として取り上げていることは明らかである。
- 1章18節から3章20節までパウロは、異邦人もユダヤ人もみな罪を犯していると語った。異邦人も神の民イスラエル・ユダヤ人さえも、みな罪を犯した。そして神の怒りのもとにあることを語った。
- アダムの特長は何か。アダムは罪を犯した最初の人物である。人類はみなアダムにあって罪を犯している。人類はアダムに結ばれて罪を犯している。人が罪を犯すのはなぜか。人は皆アダムに結ばれているからである。このことは昔から原罪と呼ばれてきた。パウロは原罪という言葉より、アダムに結ばれているという表現を好む。人類はアダムに結ばれ、アダムにある。それはキリスト者が、キリストに結ばれ、キリストにあることと対照となる。アダムは来るべき方を前もって表す者である。つまりイエス・キリストを信じる者は、キリストに結ばれて生きる。キリストにあって生きる。
- パウロは、人類はアダムに結ばれてみな罪を犯していると語った。アダムは来るべき方、つまりイエスを指し示す。イエスはどのような人物か。人はイエスに結ばれ、みな救われるのである。人はアダムかイエスのどちらかに結ばれる。この両者は人類の代表である。アダムは罪を犯す者の代表。イエスは救われる者の代表。
- なぜアダムの話をパウロは持ち出すのか。パウロは、人類がみな罪を犯し、神の怒りのもとにあることを語った。1章18節~3章20節。そして3章21節以下で、イエス・キリストを信じる者は義とされると語った。イエス・キリストを信じる者は、その信仰によって義とされ、もはや神の怒りを受ける者ではなくなったことを語ってきた。イエス・キリストを信じる者は、神と和解し、神との間に平和を得て生きる者とされることを語ってきた。
- イエス・キリストを信じる者の救いは絶対に確かであることを語るためにパウロは、アダムとキリストを対比している。アダムに結ばれている者は罪を犯しており、神の怒りのもとにある。神の怒りの現れる日には罪が裁かれ、滅びに至る。しかしイエス・キリストを信じ、キリストに結ばれている人は、キリストを信じるゆえに、キリストの贖いの死のゆえに、神の怒りからは救われており、神の怒りの表れる日にも、裁かれることはなく、救いに入れられる。信じる者の確かさをパウロは語る。キリスト者は神の前に義とされているので、救いに入れられる。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>私たちはアダムに結ばれて罪を犯してきた。
- <教え>私たちは洗礼を受け、キリストに結ばれ、救いに生きることができる。もはや罪の支配下にはない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。5章のアダムの話は、以前はよく分かりませんでした。パウロがなぜ、この箇所にアダムの話を語るのか、文脈が分かりませんでした。今は、ロマ書を見事に解き明かしてくれる本に出会い、この箇所の意義が理解できるようになり感謝します。そしてキリストによる救いがはっきりと理解できるようになり感謝です。そしてこの本に教えられ、私も救いに関して聖書の語ることを明確に理解できるようになり感謝です。
- 今、説教をする機会を与えられており、このロマ書を説教することができる幸いを感謝しています。キリストの福音がどのようなものかを伝える幸いを感謝します。ロマ書の学びを続けていきます。導いてください。
- 今日は昨日学んだ箇所をまとめてみたいと思います。
☆与えられた導き
- 学んだ箇所をまとめる。