マタイ福音書 6章1~4節
2020年9月2日
(内容)
- 見てもらおうと人の前で善行をしないように注意しなさい。施しをする時は、右手のすることを左手に知らせてはいけない。
(黙想)
- よく知られた教えである。復讐をしてはいけない、敵を愛しなさいも同じだが、教えの背後に、自分を誇らない、自分を捨てる、自分を無にするという考えがあるように思える。わたしに従いたい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って、とイエスは教えられた。
- 善行や施しを自分がしたことを人に知らせない。自分を隠す。自分を見せびらかさない。人からほめられたりするのを避ける。復讐をしないのも、敵を愛するのも自分を無にし、自分を主張しないという考えが背後にある。
- これはイエス自身の生き方である。イエスは自分を無にし、自分を捨てて神のご意志に従い、十字架の死を遂げている。
- クリスチャンとは何者なのか。自分を誇ることをせず、自分を主張せず、自分を見せびらかすことなく、しかし愛に生きる人である。人に隠れて善行をし、施しをする。人は神の前に生きていることを知らされる。神に認められることを大切にするようにイエスは教える。
- 神に認められる生き方をするのか、人に認められる生き方をするのか。クリスチャンの生活には両方の面が混じり合っている。神に認められる歩みをするし、人に認められる歩みをすることもある。気づいたらその都度、人に認められようとする歩みをしないようにしていくことが大切だ。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- (御父)神は隠れたことを見ている方である。
- (御父)善行や施しを人の目に隠れてする人に神は報いる。
☆神が私たちに求める生き方
- (勧め)人にほめられようとして自分のしていることを見せびらかさない。人からほめられても、それだけのことで、自己満足しかない。自己満足はむなしいものである。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、人間の心には人に認めてもらいたいとの思いがあることを知ります。簡単には自分を無にできないことを思わされました。昨日のディボーションに続き、きょうもまたささやかであるとしても自分を誇りたいとの思いが心の中に湧いてくる自分であることを教えられました。
- これまでの私は、自分の気持ちを切り換えることで対処してきました。自分を誇りたいとの思いが湧いてきたら、この思いを遠ざけ、別なことに気持ちを向けるようにしてきました。でも今回ははっきりと思います。神を愛し、人を愛された主イエスが、その愛のゆえに自分を無にされたことを。私もあなたを愛し人々を愛し、その愛のゆえに自分を無にすることができるように導いてください。自分を誇りたいとの思いが湧いてきたら、主イエスが自分を無にされたことを思い起こせるようにしてください。
- フィリピの信徒への手紙2章6~8節の言葉を壁に貼り、目に見えるようにし、いつも目にすることができるようにします。今日の導きを感謝します。
☆与えられた導き
- フィリピの信徒への手紙2章6~8節の言葉を壁に貼る。