第一コリント 4章1~5節
2020年9月24日
(内容)
- コリント教会の人たちに対して、パウロは自分たちが、神の秘められた計画の管理者であると考えるようにと語る。
(黙想)
- 1節「こういうわけで」。パウロはこれまで語ってきたことを受けて、一つの結論を出そうとしている。つまりキリストを宣べ伝える者、説教者、教会の指導者は、キリストに仕える者であり、神の秘められた計画をゆだねられた管理者であると。
- だから「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはパウロに」と指導者を立てて争うことは見当違いであることをパウロは教えようとしている。どの指導者が正しいのか、で争うのはおかしい、みなキリストに仕える者であり、神の秘められた計画をゆだねられた管理者なのである。
- 管理者に必要なことは忠実であることとである。教会の中で対立がある場合、そこには相互の批判、互いを裁き合うことが生じる。そのとき、神の秘められた計画に仕えていることが忘れられているのではないか。教会員は、指導者と共に神の計画に仕える者である。指導者とされる人たちの働きは、主が来られるときに明らかになる。そのことは3章の12~13節ですでに書かれている。
- 裁くのは主であり、他者の自分に対する裁き・批判は気にする必要がないし、自分で自分を裁くこともしない。大切なのは自分が忠実なことであり、自分の忠実さを自分で測ることはしないし、他者が忠実であるかどうかも詮索しない。
- 教会が一つの組織であり、その組織は組織を拡大する働き、伝道をする。人間的に考えれば、だれがこの働きを有効に行い、よい結果を出すかが問われる。そして誰を指導者に据えるのがよいのか、争いが生じる。そこには、自分たちの優越性を語り、他者を批判することが生まれてくる。
- 教会は単なる組織ではなく、神の畑であり、神の神殿である。神の畑として収穫を期待する。神の神殿として、神の臨在を現す存在でなければならない。そして神の秘められた計画が実現される場でなければならない。教会は一体何なのか、これをわきまえることが大切となる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- (御父)秘められた計画を持っておられる。これは世界の始まる前から定められたものである(2:7)。
- (御父・御子)キリストに仕え、神の秘められた計画をゆだねられた者は、終わりの日に、その働きがほめられる。
- (御子)人を裁くのは主である。
☆神が私たちに求める生き方
- (命令)キリストに仕え、委ねられ高みの秘められた計画に対して忠実であること
- (教え)自分で自分のことを裁くことしない。他者から裁かれても気にしない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神様、あなたに仕える者は、ただ忠実であることが大切であること、そして自分の働きをまだ足りないとか、もう少しこうしたらとか、自分を裁くことも必要のないことを教えられます。自分の働きは不十分なのではないか、と強迫観念に囚われたことを思い出します。
- 今日の箇所の最後で「神からおほめにあずかります」と書かれていました。忠実に仕えた者は「よくやった」とのあなたのおほめにあずかることを期待してよいと知ります。
- 3節12節以下のところで、キリストという据えられた土台の上にどのように建てるのか、終わりの日に明らかにあるとありました。牧師として教会に仕え、キリストの教会を立てる努力をしてきたことについて、終わりの日に神様のおほめにあずかることを待ち望みたいと思います。
- 世の初めに定められた神の秘められた計画とは何か、パウロがそれをどう理解しているのか、それを明らかにしたいと思いました。それ神の知恵であり、キリストです。この手紙を最後まで通読してみたいと思います。
☆与えられた導き
- コリントの信徒への手紙一を最後まで通読してみる。