第一コリント 3章10~17節
2020年9月17日
(内容)
- 教会はキリストという土台の上に立てられる。指導者は教会をどのように建てるか、問われる。教会は神の神殿であることを弁え、教会員は指導者と協力して神の神殿としての教会をたてる。
(黙想)
- コリント教会に争いがあるとパウロは聞いた。教会がグループに分かれ、それぞれが指導者を立て、対立していた。3章の1~9節では、あなたがたは神の畑であり、指導者はある者は植え、ある者は水を注ぐなど、役割は違うが神に仕える者であり、大切なのは成長させてくださる神であると語った。
- この段落では、教会が「神の建物」(9節)であることを念頭に置いている。指導者はどのように建てるかが問われ、それは終末の時に明らかになる。
- コリント教会の人たちは、神の建物であり、神殿であり、指導者と協同で神の建物を築くことになる。指導者と共にキリストという土台に神の神殿を築くことが大切である。誰を教会の指導者にすべきかで、争っている場合ではない。
- 自分たちが神の畑であり、神の建物であることを覚えていなければならない。自分が何者であるかを忘れてしまうと教会はおかしな歩みをすることになる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <聖霊>聖霊は教会の中に住まわれる方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>17節。キリスト者は、教会が神の神殿であることを知ることが大切である。自分たちが何者であるかを知ることが大切である。指導者と共にイエス・キリストという土台の上に神殿を築くのである。
- <警告>教会に指導者は、キリストという土台の上にどのように神殿を建てるのか、問われる。終わりの日に、自分が築いたものがどのようなものかが明らかにされる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日の聖書を読んで自分は牧師としてキリストという土台の上にどのような建物を築いてきたのかと思いました。そして私が辞任した後、後任の牧師が建築を引き継ぐことになります。
- 私が教会員と共に建てた建物が終わりの日に吟味されるとあります。もう牧師は隠退したので、結果を待つだけです。私は精一杯、あなたの神殿の建設のために力を尽くしてきたと思っています。それがどのようなものであるのか、吟味されることは一つの楽しみです。
- 同時に自分の足りなさも教えられました。自分の力不足については、神さまにお許しいただくのみです。
- パウロはコリント教会の人たちに、あなたがたは神の畑、神の建物なのです、と教えました。教会とは何なのか、知ることが大事です。しかも聖書に基づいて。これも今後のテーマです。私は聖書が教会について何と言っているのか、聖書が終末について何と言っているのか、二つのテーマを持っています。聖書通読の必要を思いました。今日から聖書通読をすることにします。新約聖書を一日一章読むことにします。そして「教会」「終末」に関する箇所があれば、その箇所をメモすることにします。
☆与えられた導き
- 終わりの日に自分の働きが吟味される。楽しみにする。
- 新約聖書の通読を始める。