コロサイ書 2章1~5節
2020年5月21日
(内容)
- パウロはラオディキアまたまだ会ったことのない人たちが神の秘められた計画であるキリストを悟るように、どれほど労苦し、闘っているかを分かって欲しいと語る。キリストを悟るには、心が励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられることが大切である。
(黙想)
- パウロは、自分がどれほど労苦し闘っているかをコロサイ教会の人たちに分かって欲しいと語る。そのためにこの手紙を書いているということができる。あるいはこの手紙とは別に、そのような願いを持っていることを伝えているのかも知れない。
- パウロの労苦を理解して欲しいということは、パウロが目指していることを知って欲しいということでもある。パウロの願いは、人々がキリストを悟るためである(2節)。パウロはまだ会っていない人がキリストを悟ることを願い、そのために労苦し闘っているいと語る。コロサイ教会の人たちは、パウロのために祈りを求められている。「わたしたちのために祈ってください」(4:2)と4章ではっきり祈りを求めている。
- キリストを悟るためには理解力が与えられることが大切である。その理解力はひとりだけで身につけるものではなく、励まされ、他の人たちと愛によって結び合わされることが必要と言っている。信仰者の交わりの中で、励まし合い、共に学ぶことを通して、理解力が豊かに与えられるとパウロは述べている。
- どのようにしたらキリストを悟ることができるかという道筋が示されている。またキリストを悟るということは、キリストの内に隠されている知恵と知識を知ることである(3節)。
- フィリピの信徒への手紙でパウロは自分がキリストを知った結果どうなったかを書いている。
フィリピ3:8~11
そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
- 真の価値を知ること、それはキリストを知ることである。世が価値あるとするもののむなしさを知ることである。
ガラテヤ6:14
しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。
- パウロはキリストを誇るという。世との絶縁を語る。世が重んじる価値をパウロは重んじない。世の人が誇るものを誇らない。キリストの十字架こそ真に誇るべきもの、そこに神の深い知恵、知識が隠されている。
- キリストを悟るためには、巧みな議論にだまされないことが必要である。世の中にはもっともらしい議論があるし、教会の中にもある。だまされないことが大切である。
- 今日の聖書の箇所で一番共感を覚えたのでは出だしの部分。パウロは、ラオディキア教会の人々そしてまだ直接顔を合わせていないすべての人たちのために働いている。すべての人がキリストを悟るために。教会に仕える牧師は、礼拝でキリストを宣べ伝えることをもっぱらの務めとする。今の僕は、ブログでの発信に努めている。今まで教会に仕えたことでキリストを伝えた人たち、そしてまだ顔を合わせたことのない人たちにもインターネットを通して伝えたいと願っている。キリストを伝える、いやキリストを悟ってもらう、それが目的である。
- キリストの内に隠されている知恵と知識の宝とは何だろう。何十年と信仰生活をし、聖書を読み、キリストを宣べ伝えてきた者として、この宝を知らないはいえない。知らないなら、自分のしてきたことは、詐欺にも等しいだろう。キリストの内に隠されていた知恵と知識の宝が何であるのか、自分のこれまでの信仰の生涯から答えを出すことは今、求められているかも知れない。神に導かれる歩みをしてきたのなら、この宝を幾ばくかは知っているはず。だからそれを証しとして語ることは大切であると思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- (御子)御子の内には知恵と知識の宝が隠されている。
☆神が求める私たちの生き方
- (模範)すべての人がキリストを悟るために労苦し闘うパウロの姿勢。特にパウロが、直接顔を合わせたことのないすべての人のために労苦している姿勢。パウロの手紙は、まだ会ったことのない人たちへのメッセージとなっている。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日は二つのことを教えられました。一つは、キリストをすべての人に伝えたいとのパウロの労苦です。今ひとつは、キリストの内に隠された知恵と知識の宝です。パウロはフィリピの信徒への手紙で、キリストを知ることの素晴らしさを書いています。
- 私はブログで発信をしていますが、それが何を目的としているのか、何を目的とすべきなのかを教えられた思いがします。キリストを伝え、キリストを悟ってもらうこと。キリストの内に隠されている知恵と知識の宝を伝えることです。感謝します。パウロに倣うなら、証しとして伝えていくことが大切と知ります。パウロ自身、自分の信仰について証しをしています。
- 今日はパウロの姿勢に励まされる思いをしました。感謝します。そして私は、キリストの内に隠された知恵と知識の宝をどう理解し、体験してきたのか。それを確認したいと思いました。御霊の導きを与え、思い出すべきことを思い出させてください。
☆与えられた導き
- キリストの内に隠された知恵と知識の宝について思い出し、証しをできるようにする。
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・罪の赦しの恵み
・罪に打ち勝たせてくださる救いの恵み
・死の恐れからの解放の恵み
・さまざまな恐れ・思い煩いからの解放の恵み
・キリストの喜びを、自分の喜びとして喜ぶ恵み
・キリストが残してくれた平和を自分の平和とする恵み
・神と人を愛する愛を与えられた恵み
何が本当に大切なのか(真の知識)を教えられた。
真の知識に生きるための真の知恵を聖霊によって与えられた。
それは言い換えると、パウロが労苦している目的を知ることにつながる。パウロの願いは、ラオディキアの教会の人たち、あるいはまだ会ったことのない人たちがキリストを悟ることにある。
人々が神の秘められた計画であるキリストを悟ることを願っている。そのために労苦している。この箇所では、