ローマ 3章1~4節 真実な神

2022年8月26日

(内容)

  • ユダヤ人の優れた点は何かという疑問をパウロは出し、彼らは神の言葉をゆだねられたと語る。

(黙想)

  • 1章18節以降でパウロは、人は皆罪を犯しており、神の怒りを受けるべき者であると語ってきた。1章で異邦人。2章でユダヤ人。ユダヤ人は神から律法を与えられているが、律法を持っているだけでは意味がなく、これを実行してこそ意味がある。しかしユダヤ人は実行しておらず、罪を犯していると語ってきた。
  • ユダヤ人は神に選ばれた民であり、そのしるしとしての割礼を受けてきた。そのユダヤ人も罪の下にあるというなら、ユダヤ人であることに何の意味があるのか、という疑問が生まれる。あるいは、ユダヤ人が罪を犯しているならユダヤ人を選んだという神は、どれほど信じるに足る神なのか、という疑問も生じる。
  • パウロは自分が語ることに伴って生じるかも知れない疑問に答えていく。
  • ユダヤ人は神の言葉をゆだねられた。それは素晴らしいことである。神に選ばれた民、それは誇るに値することでもある。しかしそこには神の言葉によって生きるという応答責任がある。応答しなければ、神の言葉を与えられたことに意味がなくなる。
  • ユダヤ人は神に選ばれた民、律法を与えられ割礼を受けている民だ、と誇る人に対して、ユダヤ人に優れた点はあるが、応答しなければ、その優れた点は意味がなく、異邦人と同様神の前に罪を犯して生きていることになる。
  • 異邦人から、罪を犯してしまうようなユダヤ人を選んだ神なんて、神の名に値しないのではないか、という疑問が出されるかも知れない。パウロはこの疑問に対して、神を信じる者が不誠実だったとしても神が不誠実になるわけではないと論じ、神は真実な方とすべきだと語る。
  • 聖書には「神の名を汚す」という表現が出てくる。神を信じる者たちの行いがひどいと、彼らが信じる神なんて信じるに値しないと神が軽んじられることがある。神が信じるに値するか否かは、信じる者の態度によらない。信仰者により神の名が汚されたり、あるいは神が賞賛されることがある。
  • 私たちはキリスト者だ。キリスト者もまた神の言葉をゆだねられている。聖書があり、聖書を生きる糧としている。キリスト者の行動によって、神の名を汚すようなことがあってはならない。むしろ、キリスト者の行いが神を証しし、神の素晴らしさを伝える者となることが求められる。
  • パウロはここで「神は真実な方である」とすべきです、と語る。聖書の神は人格的な神であることが分かる。
  • ひとはすべて不誠実であったとしても神は真実な方とすべきであるとパウロは語る。ユダヤ人が信じている神は真実な神なのである。その神は人間を罪から救うために救い主としてイエス・キリストをこの世界に送られたことがパウロの念頭にある。
  • 神が真実な方であることをパウロはどのように語ることができるのか。神が真実な方であることは自明のことではない。ローマ書で、神は何をなさったのか、そこに神の真実が現れているとパウロは語るのではないか。果たして自分は神を真実な方と信じて生きているのか。神の真実に信頼しているのか。神の真実を嫌う人もいるだろう。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は真実な方である。信じる者が不誠実だからと言って、神の誠実さが揺らぐことはない。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>神の言葉をゆだねられていることはすばらしいことである。ユダヤ人も、キリスト者も神の言葉をゆだねられている。
  • <勧め>神の言葉を大切にし、神の言葉によって歩むことが大切となる。神が真実な方であることを証しすることが信仰者にとって大切な働きとなる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、ユダヤ人の優れた点は、神の言葉をゆだねられたことにあるとパウロは述べました。それは言い換えるとキリスト者もまた神の言葉をゆだねられており、キリスト者の優れた点となります。私たちは聖書を手もとに置き、これを日々読むことができますし、日曜の礼拝では聖書を通して福音を聞きます。聖書が語る神の言葉は本当に大切です。
  • 私はある時から、聖書、神の言葉によって物事を考えることにしました。それまで身につけてきた自分の考え、経験、思想、政治的立場などによらず、神の言葉を土台として物事を考え、生きるようにしてきました。このように導かれたことは本当に感謝な事です。自分の考え、立場がぶれることなく、定まったこと、また聖書から希望が与えられたことは感謝なことでした。
  • 時と場合によって、あなたが真実な方であることに疑問を持つこともありますが、しかしあなたの真実に帰ることができることは幸いなことだと思います。
  • あなたが真実であることをもっと伝えたい、それが私の願いです。インターネットを利用して、福音を伝え、信仰に生きる証しをしていますが、忍耐強く、これを続けていきたいと思いました。常に支え、導いてくださるようお願いいたします。
☆祈り
  • 神の支えと導きを祈る。