第二コリント 5章17~19節 神との和解

2021年8月27日

(内容)

  • キリストに結ばれる人はだれでも、新しく創造された者である。新しくされたのは神と和解するためでもある。

(黙想)

  • 「だから」とある。前節を受けている。どうつながるのか。前節は「肉に従う」生き方をしないとある。前節は肉に従う認識をしないということであるが、認識から行動が生まれると考えれば、17節は肉に従う生き方をキリスト者はしないと考えることができる。肉に従う生き方は古い人間の行動様式であり、キリスト者は、そのような歩みをしない。つまり新しく創造された者である。
  • 新しく創造するのは、言うまでもなく神である。キリスト者は神の導き、神の助けを得て、肉に従う歩みはしない。しなくなる。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。パウロはキリスト者は、新しい存在であることを告げ、古いものは過ぎ去ったと告げる。
  • キリスト者は肉に従う生き方をしない。それは過ぎ去ったのである。でもパウロはキリスト者は「霊に従う」生き方をすることを語るわけではない。つまりキリスト者の生き方の転換について語ろうとしているのではない。もっと大事なことを語ろうとしている。
  • キリスト者の存在の新しさは、肉ではなく、霊に従うところにあるが、キリスト者は神と和解された者であることにパウロは注意を向けている。「霊に従って」生きるとすれば、それは何のためなのか。神との和解を受けて生きることである。神との和解、それが大事なのである。
  • 17節は、キリスト者が新しいものに創造されたことを語る。
  • 18節。このキリスト者が新しく創造されたことは、神から出ることである。神の業である。そして神は、和解のために奉仕する任務をパウロたちに与えたとある。
  • キリストを信じるとは神と和解することである。ロマ書5章1節によれば、神との間に平和を得ることである。救いとは神と和解をして生きることでもある。神と和解し、神との交わりに生きるとき、神からの助けを受け取ることができる。
  • キリスト者は、もしかしたら安易に神が共にいてくださるとか、神さまの恵みを感謝するとか言っているかも知れない。キリスト者は神との和解を与えられ、神との関係が回復したので、神の恵みを受け取ることができ、神が共にいてくださることを確信することができる。
  • 神は、人間の罪の責任を問うことなく、キリストのゆえに、私たちと和解してくださる。信仰によって義とされたとは、この神との和解を与えられたことを意味する。パウロたちはその和解のために奉仕する。伝道とは人々を救いに導くことだが、救いとは、神との和解である。「救いとは神との和解」。僕にはなかった言葉。新たな視点だ。
  • 神との和解は、神が私たちの罪を赦し、私たちを交わりの相手としてくださるから成立する。神との和解を考えるとき、実は、私たちが神を赦すことが必要なこともある。神はなぜ、自分の身にあの出来事が起きるのを許したのか、と思うような出来事があると、人は神から離れ、信仰を捨てることがある。あるいは信仰に入ることに強いためらいを覚えてしまう。信仰者として生き続けるにしても、この「なぜ」がしこりとなって、神との間に距離感ができてしまう。そういうこともある。この場合は、私たちが神を許すことが必要である。もちろん、神には落ち度はない。簡単ではない。
  • 信仰に生きるとは神と和解をして生きること、つまり神との交わりに生きることであることを覚えること。場合によっては神を許すことも大切となる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>私たちを新しく創造する方
  • <御父>私たちと和解をする方
  • <御父>和解の務めを私たちにゆだねる方
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>キリスト者はキリストに結ばれ、新しく創造された者である。
  • <教え>古いものは過ぎ去った。肉に従う生き方をキリスト者は捨てる。
  • <教え>キリスト者は神と和解している。
  • <教え>福音を伝える者は、和解のために奉仕する務めをゆだねられている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日は「和解」という言葉が新鮮に響きました。伝道するとは、神さまとの和解に導くことなのですね。そして私自身、あなたとの和解に導かれました。あなたとの和解、それはあなたとの交わりに生きるためですね。
  • 信仰に生きるとは、あなたとの和解に生きることと教えられました。新しい視点を与えられたような気がしました。信仰とは、徹底してあなたとの交わりなのですね。和解は、あなたが私たちを交わりの相手としてくださるということですね。
  • 聖書を通してのあなたとの交わり。祈りを通してのあなたとの交わり。この二つを比較すると、私は聖書を通してのあなたとの交わりに重点を置いています。私はある経験から、あなたを遠く感じていたことがあり、どうしてもあなたに親近感を覚えることができませんでした。そのために祈りがおろそかになることを知っています。
  • あなたに親近感を覚えることができない。このことは折に触れて思い出し、祈って解決を考えてきました。まだ完全に解決していないことを思わされました。信仰とは和解に生きることと教えられましたので、あなたに祈り、解決を目指したいと思いました。今日、祈ることにします。
☆与えられた導き
  • 「ある経験」を覚えて祈る。