第二コリント 3章4~6節 文字は殺し、霊は生かす

2021年7月5日

(内容)

  • パウロは、新しい契約に仕える資格を神から与えられたと書き、自分が使徒であることを伝える。

(黙想)

  • ある人が使徒であるかどうか、それは誰かの推薦状をもらっているかどうかで決まることではない。それぞれの働きがどのような意味を持っているか、深い点からパウロは考えている。
  • パウロはかつて律法に対して熱心であった。誰よりも律法を実践しているとの自負を抱いていた。そしてクリスチャンを迫害していた。しかし復活のキリストに出会い、自分が間違っていることに気づいた。神に対する熱心から迫害をしていたが、自分が神の御心を全く理解していなかったことに気づかされた。キリストとの出会い、それはパウロにとっては、神との真の出会いであった。
  • 以前のパウロは律法に対して熱心だった。しかしパウロは変えられた。キリストの教会に律法(割礼)を守ることを説き、教会(ガラテヤ)を混乱させた教師たちがいた。パウロは断固として救いは信仰によると語った。
  • イエス・キリストと出会い、パウロは悟った。神は今や新しい契約を信じる者と結ぼうとしていることを。律法の位置づけがすっかり変わったのである。信仰とは神の教えを守ることという理解は、パウロの中から消えた。
  • パウロは使徒としての資格は神から与えられたものであると語る。そしてパウロは新しい契約に仕える資格を得たとする。パウロは新しい契約に仕える者であり、もはや古い契約に仕える者ではない。
  • 古い契約に仕えることは文字に仕える契約であり、これは人を殺す。しかし新しい契約に仕えることは霊に仕えることであり、霊は人を生かす。ここにおいて大きな転換があった。パウロは自分が使徒として新しい契約に仕える者であり、霊に仕える者であり、霊が人を生かすことに仕える者であるとの理解を語っている。
  • 信仰とは、律法を守ること、つまり神の戒めを守ることではなく、イエス・キリストが与える救いに生きることである。それは人を再生させ、罪からの救い、解放を与えるものである。信仰は新しい段階に入った。それはキリストに結ばれ、人が再生される救いである。キリストに結ばれた人は新しく生まれ、神の子として生きていく。聖霊が信仰者を新しく生まれさせ、神の子として生かし、神の戒めを実践する力を与える。信仰という点では大転換がここに起きたのである。
  • 文字は殺す。これをどう考えたら良いのだろうか。キリスト教においても、信仰とは神の教えを守ることと理解することは、文字に仕えることであり、キリスト者は死ぬ。つまり人は罪を犯し、罪に打ち勝てず、罪に支配された中で生きる。いくつかの教会の説教奉仕をしたが、司式者の祈りを聞いていると罪に支配されている人の祈りだと思わされることが度々あった。
  • 神の教えを人間は自分の力では守ることができない。なぜなら、罪が攻撃してくるから。神の教えに反発する心が湧いてくる。また誘惑もある。キリストによる罪の赦しはあるにしても、結局することは罪を犯すことであれば、文字に仕えることは、人を生かさない。つまり人を殺すことになる。我々が求めるべき聖霊の働きは、御言葉に立ち、御言葉を行い、御言葉に生きることへの助けである。そして神のみ心に従う従順な心を与えてくださることである。
  • パウロはこのようにして新しい信仰理解に立っていることを伝える。そこにこそ、彼が使徒であることの証拠がある。
  • このパウロの大転換は、説教者は受け継がなければならない。文字は殺す、霊は生かす。そのためにはまず、パウロが語ることをきちんと理解しなければならない。
☆与えられた導き
  • 「文字は殺し、霊は生かす」について注解書を調べる。