第一コリント 15章20~28節(2)キリストの支配の完成

2021年4月29日

(内容)

  • 世の終わりが来たとき、キリストはすべての支配、すべての権威、すべての勢力を滅ぼす。そして父である神に国を引き渡す。

(黙想)

  • 24節。世の終わりに何が起きるのかが語られる。ここではまず、神に対抗して支配しようとする存在、神に対抗する権威を持とうとする存在、勢力があることが告げられる。そして終わりの日が来たら、キリストはこれらを滅ぼすと語られる。聖書は神に敵対する悪しき存在を悪魔とかサタンと呼んでいる。そして悪魔は色々な呼び方で呼ばれる。
  • 「この世を支配する者」(エフェソ2:2)、「かの空中に勢力を持つ者」(エフェソ2:2)、「不従順な者たちの内に今も働く霊」(エフェソ2:2)、「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」(エフェソ 6:12)、「悪い者」(ヨハネ一5:19)、「この世の神」(コリント二 4:4)など。
  • 世の終わりが来るとキリストはこれらの神に敵対する者を滅ぼす。言い換えれば、キリストが来られるまでは、これらの悪しき力がこの世で力を振るっていることになる。
  • キリストは「父である神に国を引き渡される」。この世界、この世は悪しき者の支配下にある。しかしキリストを信じる者たちは、キリストの支配下の中を生きることが許されている。世の終わりが来るとキリストは悪しき者を滅ぼし、その支配を砕く。キリストは完全に世界を支配することとなり、この支配権を父なる神に引き渡す。
  • 25節。復活されたキリストは天に上げられ、悪魔に打ち勝つものとして天におられる。キリストが最終的に悪魔に勝利することについては、「すべてのものをのその足もとに置く」という表現が用いられる。この言葉は詩編の引用である。
  • 26節。最後の敵として死が滅ぼされる。死の支配が打ち砕かれる。世の終わりが来ると死が滅ぼされ、もはや死はなく、信仰者は永遠の命に生きることとなる。
  • 27節。悪しき者が滅ぼされ、すべてのものがキリストの足の下に服従する。この「すべての者」の中に、キリストを信じる者たちがいる。キリストを信じなかった者たちがいるかどうかは不明。最後の審判があれば、信じなかった者たちは滅びることになる。
  • 28節。キリストは父なる神に従い、神がすべてにおいてすべてとなる。神の御支配が完成する。救いの完成の到来である。
  • 世の終わりが来たら、キリストが悪魔を滅ぼすという大いなることが起きる。霊的な出来事なので人間の目には見えないかも知れない。しかし壮大なスペクタクル(見世物)に思える。何らかの形で、これを見ることができることを願う。キリストの悪しき力に対する勝利を語る聖句に心を留めたい。
  • 私たちの問題は、このような悪しき勢力の存在と、その支配が現実にあることを認めるかどうか。これは神の存在と同じように、聖書に基づき信じるか否かである。聖書は、キリストを信じる者は、真の敵は悪魔であり、信仰によってこれと戦うことを勧めている。
  • 僕自身は、悪しき力が人間に働くことを知っている。特に恐れは悪しき勢力が私たちに持ってくる。悪しき勢力は人間のプライドを利用して、人間を高慢に導く。でも、悪魔のことを正面からテーマ、主題にして話すことはどうなのだろう。主題説教で語ることにはためらいを感じる。聖書のテキストの説き明かしとして必要なら語ればよいのではないか。そのときには避けてはならない。
  • 死の恐れ、人への恐れ、失敗への恐れなどを僕は抱いた。しかし今は、これらの恐れは僕に働きかけることはあまりない。信仰のお陰だ。プライドに執着することもかなり減った。
  • 気になるのは、悪しき者に支配されている人たちのことである。「この世の神が信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです(コリント二4:4)とある。福音を信じることができなくされている。伝道を考える時、邪魔をする悪魔の力を考えなければならない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>御子は、終わりの日が来たら、悪魔(悪しき権威、力)を滅ぼすお方。
  • <御父>終わりの日には救いが完成し、神がすべてにおいてすべてとなる。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>キリストへの信頼。キリストは悪しき力に勝つことのできるお方である。信仰の歩みにおいて、キリストの権威に信頼し、このような悪しき力に対して戦うことが大切である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書箇所は、信仰に生きるときに私たちが無視しやすい箇所です。信仰に生きることを真剣に考えるとき大切な箇所です。私はまだ十分い理解していない事柄です。しかし今日、この箇所を読み、他の似たことを語る聖書箇所も読みました。今日は一つのことを祈りたいと思いました。それはコリント二4:4です。この世の神が信じない人の目をくらまし、福音の光を見えないようにしたとの言葉です。伝道を考えるとき、この「この世の神」の働きは打ち砕かれなければなりません。キリストがこの世の神の働きを妨げ、福音の光を人々が見ることができるようにと願うものです。特に礼拝の場で、人々のくらまされている目が開くことを願います。
  • 終わりの日に、神さまがすべてにおいてすべてとなることはある意味楽しみです。イエス・キリストを信じてよかったと本当に思えるときが到来します。この時の到来を楽しみにしたいと思います。
☆与えられた導き
  • 礼拝において、この世の神の働きが押しとどめられ、人々が福音の光が見えるようになることを祈る。
  • キリストが悪しき者に対して勝利することを告げる聖句に心を留めたいと思います。そのための聖書通読を続ける。第二コリントを読む。