第一コリント 5章9~13節

2020年10月2日

(内容)

  • 教会の中での「みだらな行い」について、パウロはコリント教会宛に以前手紙を書いた。その時「みだらな者と交際するな」と書いたが、その真意を語る。教会は聖なる教会として形成、維持されなければならない。

(黙想)

  • パウロの真意は教会内の「みだらなものと交際するな」との意味であり、この世にいるみだらな者との交際を禁じたのではないと告げる。そして教会の内部の人をこそ、裁くべきであると語る。教会はキリストの体であり、ふさわしくない者は除外すべきとパウロは語る。
  • 内部の者を裁くとあるが、これは真剣な行為である。教会がキリストの教会であるための真剣な行為。教会員が相互に相手を批判し合う裁き合いとは異なる。これは悪口を言い合っているに過ぎない。
  • パウロが教会から除きさるべきと指摘しているのは、大半がモーセの十戒を犯した人である。「みだらな者」(姦淫するな)。「強欲な者」(むさぼるな)、「偶像礼拝をする者」(像を拝むな)、「人を悪く言う者」(偽証をするな)、「人の物を奪う者」(盗むな)。でも罪に大小はない。
  • 他方で、ガラテヤ書6章で「だれかが不注意にも何らかの罪に陥ったなら、そういう人を正しい道に立ち帰らせなさい」とある。マタイ18:15以下で、罪を犯した者に対する態度について書かれている。教会は、信徒の明らかになった罪に対してあいまいにしてはいけない。教会はキリストの体として、聖(きよ)いものとして保つ必要がある。これもまた教会の大切な働き。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>教会を聖いものとして保つために、罪を犯した者を裁くことが必要になることがある。悪しき者を除き去るのである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書は読みながら驚きを覚えます。信徒たちの中には、みだらな者、強欲な者、偶像礼拝をする者などがいても不思議ではないとパウロは考えているようです。昔になりますが、私が牧会していた教会の近隣の教会で信徒が強盗を働いたことがありました。テレビのニュースでも報道されました。
  • 教会員を除名にするような事態には私自身は直面しませんでした。感謝です。でもそれでよかったということではなく、聖なる教会を築いていくことの大切さを教えられます。これは地道な取り組みですね。
  • 牧師を引退した身として、教会に対する責任からは自由になり、一人の信仰者として礼拝に出席しています。これまで自分が関わった教会、今礼拝出席している教会が聖なる教会を地道に形成していくことができるように祈りたいと思いました。
☆与えられた導き
  • 関わりのあった教会のために祈る。