第一テサロニケ 3章1~5節

2020年7月15日

(内容)

  • テサロニケ教会の人たちが苦難に遭うことをパウロは予告していた。そして今実際に彼らは苦難に直面している。パウロはテサロニケ教会の人たちが苦難の中で動揺することのないように、また悪魔に惑わされないようにという心配からテモテをテサロニケに派遣した。

(黙想)

  • 私たちの信仰は、自ら動揺し、また悪魔の誘惑により惑わされることがある。パウロはテモテをテサロニケに派遣し、テサロニケ教会の人たちの信仰を励まし強めようとした。
  • この段落では、信仰者に影響を与えるものとして「苦難」が取り上げられている。信仰には苦難がつきものだとパウロは教えた。苦難の中で信仰を貫くのはしんどい。信仰を捨てれば苦難はなくなる。どうしようかと動揺する。誘惑するものも惑わしを与える。
  • この「苦難」を「死」という言葉で置き換えたらどうなるのか。
    ・私たちは死ぬように定められている。
    ・パウロは、あなたがたはやがて「死ぬ」と予告した。
    ・あなたがたは今「死」に直面している。
    ・誘惑する者があなたがたを惑わしている。
  • 自分の死に直面し、信仰者もまた動揺するかも知れない。誘惑する者はキリスト者の「死を越える希望」がむなしい望みであると惑わしてくるかも知れない。キリスト者はどこに立つのか。それが問題だ。不安や疑いが生じてきたときどこに立つのか。その基盤さえ、大丈夫なのか、と誘惑する者は惑わそうとする。
  • 信仰とは、どこに立つかを選ぶことだ。人は必ず、どこかに立っている。選択肢は二つ。神の言葉に立つか。自分の思いに立つか。神の言葉に立てば、誘惑する者が信じて大丈夫なのかと惑わしてくる。自分の思いに立てば、動揺するだけ。誘惑する者に惑わされて神の言葉を疑ってしまう。
  • パウロはテモテをテサロニケ教会に派遣した。私たちには聖書が与えられている。聖書はイエスを証しする書物である。イエスを信じるとは、イエスの言葉を信じることである。聖書を神の言葉と信じることである。
  • パウロはテサロニケ教会の人々が信仰を失い、テサロニケ伝道の労苦が無駄になってしまうのではないかとの心配を抱いている。父なる神そしてイエスは、私たちが動揺し、信仰から脱落することを心配していると考えることもできる。神は聖霊を私たちのうちに住まわせ、御言葉に立つように働きかけてくださっている。
  • テモテは「神の協力者」と呼ばれている。テモテはパウロの近くにおり、パウロに仕え、神に仕えている。彼は神の協力者と呼ばれている。信仰者は、みな、神の協力者として生きるように召されていると思う。その生き方は人それぞれである。神の協力者、それはクリスチャンのアイデンティティーかも知れない。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <警告>誘惑する者に惑わされてはいけない。
  • <励まし>テサロニケ教会の人たちには心配してくれるパウロがいる。そして私たちには、父なる神、イエス、聖霊がおられる。
  • <教え>信仰を貫くためには、障害を乗り越えることが必要。障害があるからと落胆していたら、信仰を貫くことはできない。
  • <教え>障害を乗り越え、信仰は強められる。信仰は強くなる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、テサロニケ教会の人たちは苦難に直面し、パウロは彼らが動揺しないように、また誘惑する者に惑わされないようにとテモテを遣わし、テサロニケ教会の人たちを励まし、その信仰を強めようとしました。
  • 今、私たちの社会は、新型コロナウィルスによる感染がじわじわと広がりつつあります。高齢者に感染が広がることが心配されていますが、近いうちに現実になるのではないかと思います。そして「高齢者は重症化しやすい」現実があり、高齢者は恐れの中にあります。テサロニケ教会の人たちが苦難に直面していたように、高齢者は迫りつつある死に直面しているということができます。私は高齢者です。
  • 誘惑する者は折にふれて私を惑わしにきます。昨日、コロナウィルスによる感染に対して、覚悟を決めました。もし私が感染した場合どうするかの覚悟です。希望に立つ覚悟をしました。癒やされる希望、そして御国への希望。治るにしろ治らないにしろ、希望に私は生きるとの覚悟です。「高齢者は重症化するぞ」と誘惑する者は惑わしてきます。神の国の希望、それは人間がつくりだした妄想だと惑わしてきます。どの宗教も来世を語るが、所詮、人間の願望に過ぎない、と惑わしてきます。そして信仰の徹しきれない弱さが私にはあります。
  • しかし今日の聖書で、私のことを神さまは心配して下さっていると教えられました。イエス様も、あなたが救われるために私は死んだのだと語って下さいます。聖霊は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」との神の言葉は真実であると私に語りかけてくださいます。あなたの励ましを感謝します。
  • 新型コロナウィルスのおかげで私の信仰は強められる機会を得たと受けとめ感謝します。
  • 天の父、今日は賛美によって、信仰を強められたいと思います。その曲は “When Peace Like A River” です。讃美歌520番(神によりて心やすし)です。英語の歌詞を訳し、意味をきちんと味わい、賛美したいと思います。私の力にしたいと思います。今の時代インターネットを通して、この讃美歌を映像を見ながら賛美できること幸いに思います。感謝します。色々な支えをいただき感謝です。天の父よ、信仰を強められることを感謝します。
☆与えられた導き
  • “When Peace Like A River” を訳し、賛美する。

When Peace Like A River Hymn(it is well with my soul)

1.
When peace, like a river, attendeth my way,
when sorrows like sea billows roll;
whatever my lot, thou hast taught me to say,
It is well, it is well with my soul.

Refrain:繰り返し
It is well with my soul,
it is well, it is well with my soul.

川のように平和がわたしの道に伴う時
悲しみが海の波のように荒れ狂うとき、
私の運命がどうなろうと
あなたは私に教えてくださっている
「だいじょうぶ、私の魂にとって、だいじょうぶ」と言うように。

2.
Though Satan should buffet, though trials should come,
let this blest assurance control,
that Christ has regarded my helpless estate,
and hath shed his own blood for my soul.

サタンが動揺を与えようとも いくつもの試みが来ようとも
このもっとも祝福された確信が(私を)支配するように
すなわち、キリストが私の無力な状態をご覧になっており
私のためにご自身の血を流されているとの確信が

(Refrain)

3.
My sin, oh, the bliss of this glorious thought!
My sin, not in part but the whole,
is nailed to the cross, and I bear it no more,
praise the Lord, praise the Lord, O my soul!
(Refrain)
私の罪は、おお、この栄光に満ちた思い、すなわち
私の罪は、その一部ではなく、その全部が、
十字架に釘付けられ、私はもう(自分の罪を)負う必要がない。
主をほめよ、主をほめよ、わが魂よ

4.
And, Lord, haste the day when my faith shall be sight,
the clouds be rolled back as a scroll;
the trump shall resound, and the Lord shall descend,
even so, it is well with my soul.

主よ、その日を早く来たらしてください
私の信じたことが目に見えるようになり
雲が巻物のように巻き取られ、
ラッパの音が響き、主が降りてこられる日を
そのようであっても
私の魂はだいじょうぶです。