コロサイ書 1章9~14節

2020年5月8日

(内容)

  • コロサイ教会に対するパウロの祈り。第一に神を深く知ることができるようにとの祈り。第二にどんなことにも根気強く耐え忍ぶことができるようにとの祈り。第三に点の相続分にあずかることができるようにされたことを感謝するように。

(黙想)

  • 聖霊の導きによる知恵と知識によって神の御心を充分に悟ること。そして主に従って歩み、善い業を行って実を結び、神をますます知るようにとの祈りがなされている。神の御心に対して深い関心を持ち、神の御心を知る信仰者、教会になるようにとの祈りがなされている。
  • パウロの時代、神の御心を人々はどこから知ったのだろうか。パウロの書簡は神の御心を知る上で有益であったにちがいない。神がいかなる方か、神が求める生き方が書かれている。私たちには聖書があり、私たちは聖書から、神がいかなる方か、神が何をしてくださったのか、そして神が願う信仰者の生き方がどのようなものかを知ることができる。
  • しかし、神の御心を知ることへの深い関心が私たちにあるとは思えない。説教を聞いていればよいという口調の牧師たちの言葉を聞いてきた。信徒に聖書を読むようにとの勧めはあまり聞かないし、どのように聖書を読めばいいのかは語られていないように思える。週の半ばの祈祷会で牧師からの聖書の話はある。しかしどれほどの信仰者が、神のみ心を知ろうとしているのだろうか。パウロの祈りは、今の時代も通用する祈りであることを思う。自ら聖書を読んで神の御心を探り、神のみ心に従って生きる自立的な信仰者は多くはないと思われる。
  • 次に神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことにも根気強く耐え忍ぶことができるようにとの祈りがなされている。「神の栄光の力」「あらゆる力」。パウロはどんな力を思い浮かべているのだろうか。根気強く耐え忍ぶには、私たちを支える力が必要となる。今、新型コロナウィルスの感染防止のために、自粛が求められ、経済活動が抑制され、経済的な困難を覚えている人が多い。この場合、支える力は政府が示す支援である。日本の場合、対策が後手に回り、経済支援を申請するにしても手続きが複雑であり、支援を受けるまでに時間がかかるなど、問題点が多すぎる。結局政治が、国民に奉仕する政治になっていないところに根本問題がある。それは選挙で政治家を選ぶ国民にも責任がある。
  • コロナ感染の脅威の中、根気強く耐え忍ぶことを今日の聖書は語っている。僕自身は忍耐の必要はそれほど感じていない。年金生活なので、経済的な切迫感はとりあえずない。生活上の不便さはあるが、普通に忍耐できる。
  • 「光の中にある聖なる者たちの相続分にあずかる」ことができるようになったことについて神に感謝するようにとの勧めがある。これは具体的に何を語っているのだろうか。「御国を受け継ぐという報い」(3:24)がある。これは将来の事柄である。しかし「光の中にある・・・相続分」は、将来的なものというより、今、受け取ることができるものと考えた方がよいのではないか。今受け取るから感謝が生まれる。13節には、私たちは闇の力から救い出されて、御子の支配下に生きることができるようにされたとある。イエス・キリストの救いによって生じる、あらゆる救いの恵みに私たちはあずかると考えれば、神に感謝が具体的に生じてくる。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>主に喜ばれるよう主に従い、善い業を行い、実を結んで神の御心をますます深く知ること。
  • <勧め>神の御心に深い関心を持つような信仰者になること。
  • <勧め>根気強く耐え忍ぶこと
  • <勧め>救いの恵みを受け継ぐことに感謝を献げること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、私が感じることは信仰者といえどもあなたの御心にそれほど関心を持っていないのではないか、ということです。今は特に新型コロナウィウルスによる感染という危機の中にあって、だれもが自分を守ることに心を砕いています。自分に関心が向く分、あなたの御心への関心は少なくなっていきます。それだけでなく、日常的に聖書を読み、あなたの御心を探り、み心に従い、あなたを深く知るという営みが余りなされていないように思います。教会における聖書の読み方の指導。これも大きな課題です。考えるべき課題として受けとめ、取り組みたいと思います。
  • 新型コロナウィウルスによる感染という危機の中にあって、根気強く忍耐している人たちを覚えて祈ります。経済的な支援がきちんと受けられるように、政府が迅速に対策を打ち出し、その支援が効果を発揮するように祈ります。
  • 新約聖書には、相続、受け継ぐという言葉でもって、信仰者の希望が語られています。私たちには、相続という言葉を信仰に結びついて考えることがむずかしいです。今日は、「相続」という言葉が聖書の中でどんな風に使われているのかをチェックしてみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 聖書の読み方について取り組む
  • コロナ感染危機の中で経済的な支援を覚えて祈る
  • 「相続」について調べる。

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エフェソ 1:11
キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。

エフェソ 1:14
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

エフェソ 1:18
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように

KJV 使徒言行録 26:18

‘to open their eyes, in order to turn them from darkness to light, and from the power of Satan to God, that they may receive forgiveness of sins and an inheritance among those who are sanctified by faith in Me.’

彼らが罪の赦しと私(イエス)への信仰によって聖なる者とされた人たちの中にあって相続することができるように

*基本的には「相続」「受け継ぐ」は神の国を受け継ぐことを意味しているようだ