ネヘミヤ記 9章

2018年3月2日

(内容)

  • イスラエルの民はともに集い、罪の告白をしました。
  • 5~6節。創造主なる神を賛美。
  • 7~8節。神はアブラハムを選び、約束を与え、その約束を実現させました。神は約束を果たされる方です。
  • 9~15節。神はエジプトで苦しんでいるイスラエルの叫びを聞き、彼らを救い出し、自由に生きる土地へと導かれました。そのために神は大いなる業を行われました。さらに彼らに掟と戒めと律法を授けられました。
  • 16~23節。しかしイスラエルの民は神の戒めに従わず、彼らに示された神の驚くべき御業を忘れて、エジプトの苦役に戻ろうとしたり、子牛の偶像を造るなど背信の行為をしましたが、神は彼らを憐れみ、罪を赦し、約束された土地へ導かれました。
  • 24~26節。イスラエルの民は約束の地に入り恵みを受け、満足する生活を送るようになると神に背き、回心を説く預言者を殺す罪を犯しました。
  • 27~28節。罪を犯すイスラエルの民を神は敵に渡し、彼らを苦しめました。民が苦難の中から叫ぶと神は憐れみをもって助けます。このようなことが繰り返されます。
  • 29~31節。それを守れば命を得るはずの律法をイスラエルの民は守りませんでした。神は預言者を送り、神に立ち帰るように説きましたが、民は耳を貸しませんでした。ついに神は民を諸国の民の手に渡されましたが、憐れみのゆえに彼らを滅ぼすことも見捨てることもなさいませんでした。
  • 32~37節。以上のように先祖の民の罪を告白した後、アッシリア王の時代から今日に至るまでのイスラエルの民の苦しみを顧みるように願います。自分たちの苦境は律法に従わず、神に仕えようとしない罪のゆえと告白します。

(黙想)

  • 旧約に描かれているイスラエルの歴史が要約されているかのような罪の告白です。苦境に遭うと神に助けを求め、神の助けによって平穏な生活に戻ると神に背き、神が彼らを苦境に落とすと神に助けを求めることが繰り返されます。
  • 神はいつも憐れみ深く、恵み深い神です。民は神に背き、神の憐れみ、恵みを忘れて歩みます。罪とは何かを知る思いがします。罪とは恵みと憐れみに満ちた神に背くことです。それを行えば命を得る律法を神はイスラエルの民に与えましたが、民は神の行為を無視し、自分勝手に歩みました。
  • 罪とは、
    • 神の恵み、憐れみに感謝しない忘恩
    • それを守れば命を得る律法に従わず、自分で命を得ることができると考える傲慢。不従順。
    • 困ったときだけ神を利用する心、態度。
  • 神との交わりに生きようとする人こそ、真に罪を知るものである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)約束を与える方
  • (御父)憐れみと恵みに富む神。苦しみの中から叫ぶ声を聞いてくださる方。
  • (御父)それを行えば命を得る律法を与える方。救いに感謝して掟を守ろうとする心、それこそ命を持つ心。
  • (御父)不従順、罪を犯す者に苦しみを与える方。それは神に立ち帰らせるためのもの。
  • (御父)人を遣わし、悔い改めに導こうとされる方。
☆神が求める私たちの生き方
  • (模範)罪を告白し、神に立ち帰ること。
  • (教え)神から与えられた救いに感謝の応答をすること。具体的には、私たちが命に生きることができるように与えられた神の教えに喜んで従うこと。この喜べることこそ、命を与えられているしるし。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、今日は旧約聖書を読み返すような思いになりました。イスラエルの歴史は罪の歴史でした。今日の聖書は罪が何かを具体的に教えてくれます。人はあなたとの関わりに生きるものとしてあなたに造られました。ところが人は困ったときだけあなたに助けを求め、助けが与えられればあなたのことを忘れて歩むことを教えられます。あなたはイスラエルの民に律法を授け、それを行って命を得るように導かれますが、イスラエルの民はそれを無視し、逆らうような歩みをしました。あなたのみ心など少しも考えないのです。ただ自分の思いに従って生きているだけです。
  • かつての私もそうでした。あなたの心に思いを向けることはありませんでした。あなたの戒めは聖書から学びますから知っています。それを守ろうとします。でもあなたの心には無関心でした。そのことに気づかされて以来、自分は罪深い者であると悟りました。あなたの心よりも自分の心をすぐ優先させてしまうからです。たとい聖書にあるあなたの戒めすべてを完璧に守ることができたとしても、なお私は罪深い者です。
  • 気づきを与えられ、あなたとの交わりに歩むことを始め、あなたのみ心を思う者とされたことを感謝します。聖書を通してあなたの御心を知らされて歩む幸いを感謝します。
  • 天の父、かつての私がそうであったように、罪とは何か悪しきことをすることとの理解を持ち、自分は正しく生きている、そんなに罪を犯していないとの思いを持つ信仰者がいます。また逆に自分は罪深いと語る人がいます。同じ罪を借り換えしたり、悪しき思いに心が支配され、それにしばしば負けるからです。
  • 罪の理解は人それぞれです。罪からの救いについて罪の赦しは皆信じます。しかし、罪の支配から自由にされているという福音についてはこれを知らない人、知っていても知識だけで自由を味わっていない人もいます。そのことは救いの恵みを十分知らないことにつながります。あなたとの交わりに生きないこと、そこから生まれる様々な行動が罪となります。
  • 罪を説く説教は常になされているかもしれませんが、なお求められていると思います。2018年度、説教の奉仕が与えられたら、罪を主題にして説教をしたいと思いました。三回分の説教の備えとして、聖書箇所を決めます。
☆与えられた導き
  • 三回分の説教箇所を決める。
☆結果 説教箇所
  • 創世記3章1~19節
  • 民数記14章1~12節
  • サムエル記下11章