ヘブライ人への手紙 6章4~12節

2018年1月10日

(内容)

すばらしい救いを体験した人が堕落した場合、悔い改めて神に立ち帰ることはできないこと、神さまは信仰者の愛のわざを忘れないこと、最後まで希望を持ち続けるべきこと、怠け者にならず、信仰と忍耐をもって、神さまの約束に生きた人を見倣うようにとの勧めがなされます。

(黙想)

  • 救いのすばらしさ(天からの賜物を味わい、聖霊にあずかり、神のすばらしい言葉と来たるべき世の力を体験)を経験しながら堕落した人は悔い改めて神に立ち帰らせることができないとあります。しかし、ここに書かれているような救いのすばらしさを経験して信仰から離れることがあるのかと思います。救いのすばらしさをまだ味わっていない人が信仰から離れることはあり得ると思いますが、救いのすばらしさを味わった人が堕落するとは、正直考えにくいです。
  • もしかしたら、よんどころない外的な状況のために、あえて信仰を捨てる、ということがあるのかもしれません。たとえば厳しい迫害の中で、信仰を貫くなら家族全員が殺されるというような事態が起きたら、どうするか悩みます。私自身、家族の命を犠牲にしてまで信仰を貫くべきなのかと問われたら、答えに困ります。意図的に信仰を捨てた場合、悔い改めて立ち帰ることはできないとあります。この事についてはさらに思いめぐらすことができるかもしれませんが、ここではしません。主の祈りで「試みに遭わせず」との祈りがありますが、この祈りは大切だと思わされました。
  • 怠け者にならず、とあります。私たちは安易な方向に流れやすく、楽をしたいとの思いを持ちます。時に面倒くさいとか、堅苦しいのはいやだとか言って、デボーションや祈りを怠けてしまうことがあります。修道院では、労働と祈りが重んじられていたと聞きます。怠ける代わりに、信仰と忍耐によって約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣いなさいと勧められます。神の約束を受け継ぐ人、神の約束に生きた人については、この手紙の11章に紹介されています。神さまの約束の実現、それが人生の目標となります。自分の目指す目標があいまいだと楽をしよう、怠けようとの誘惑に勝つことがむずかしいと思いました。目標があっても怠惰という誘惑との戦いがあります。
  • 私たち信仰者の人生には目標、ゴールがあります。神の国です。信仰者は神の国を目指す歩みを地上において行います。神の国を目指す者としてふさわしい歩みをします。この点がおろそかになると怠ける誘惑に負けるのだと思います。
  • 9節以下では、信仰者の行った合いのわざを神さまは忘れることがないと書かれており、慰められます。愛の業を行っているとの自信をなかなか持ちにくいのが私たちの現実です。そこで信仰者としての自分の歩みを否定的に見ることがあります。神さまは私たちの愛のわざを忘れられないので、そのことを感謝し、これからも愛のわざに励みたいと思います。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)神は、私たちの愛のわざをお忘れにならない。
☆神が私たちに求める生き方
  • (勧め)11節。最後まで希望を持ち続けること
  • (警告)12節。怠け者になってはいけない。
  • (模範)12節。神の約束を頼みにして生きる人たちを模範とする。

(神の導き)

☆黙想
  • 6章5節には「来たるべき世の力を体験し」とあります。神の国を待ち望むことが信仰者の力になるとの意味かと思います。自分はこの力を体験しているのだろうか。神の国の希望は死を越える希望です。この希望は信仰者に平安と喜びを与えますが、今日の聖書は力を与えるとあります。「来たるべき世の力を体験し」という言葉は、今の私の口からは出てきません。そういう自覚はなく、そういう意識が薄いことは確かです。でもこの力に生かされていることは事実です。老いを生きる者として、世を去る時が遠くない者として、この「来たるべき世の力」を意識化することが大切だと思いました。言い換えると、この力に生かされているとの証しをすることが大事だと思わされました。今度の日曜日は、説教奉仕があり、「この世を去る時の望み」と題して説教をする予定です。この望みが信仰者の力になる、これはメッセージになります。福音になります。先ず自分自身が、この望みによって力を得ていることを意識化し、言葉に表したいと思います。
☆与えられた導き
  • 「試みに遭わせず」と祈る意義を再確認し、主の祈りを祈る。
  • 今週後半もデボーションと祈りに励む。
  • 神の国を待ち望むことが力になることを思いめぐらし、説教に生かす。