ルカ福音書 1章1~4節

2018年3月6日

(内容)

  •  ルカは自分に伝えられたことを詳しく調べ直して、順序正しく書くとの思いを表明します。それは伝えられたことが確実であることを分かってもらいたいとの思いからです。

(黙想)

  • 「わたしたちの間で実現した事柄」とあります。それはイエス・キリストに関わる事柄であり、人の救いに関わる事柄で、出来事となった事柄です。人を救うのは宗教的な教えでも理論でもなく、イエス・キリストであることをルカは伝えようとします。イエス・キリストの出来事が人を救います。
  • 「最初から目撃して御言葉のために働いた人々」。御言葉とは、神の言葉のことです。神はイエス・キリストの出来事を通して語られました。人類を救うとの神のご意志が出来事となりました。神は語られたのです。この出来事を伝えるのが神の言葉と言われます。そして伝えるために働いた人々がいます。伝え聞いたことをさらに物語として書き、そのことによって伝えようとする人がいます。ルカはその一人です。
  • 目撃した人が目撃したことを伝え、さらに伝え聞いたことを書き記して伝えようとする人がいます。イエス・キリストの出来事、救いの出来事を人々は伝えようとしました。私たちもまたイエス・キリストが救い主であることの証人です。イエス・キリストを信じ、救われて生きているからです。私たちもまたイエス・キリストが救い主であることを伝えることができます。救われて生きている事実を伝えればよいわけです。
  • 牧師としての働きをしていたときは、聖書の説き明かしをして、イエス・キリストが救い主であることを伝えてきました。牧師職を引退した今、何を目撃し、何を伝えることができるのでしょうか。私は、聖書がわたしを生かすことを経験し、これを伝えようとしています。自分のディボーションをインターネットに公開していることは、イエス・キリストを宣べ伝えることに他ならないことを今日の聖書から確認できました。自分のしていることが無意味でもなく、自己満足でもなく、福音を伝えた人々に自分も連なっていることを知ることができうれしく思います。
  • するとディボーションをする人は、聖書の言葉が自分を生かすものであることの体験者であり、目撃者であり、これを伝えることのできるものであることが分かります。多くの信仰者がキリストを宣べ伝えることは容易なこととは考えていません。しかしディボーションを行い御言葉が自分を生かすことを伝えることはできますし、これは伝道につながります。

(聖書に聞く)

☆神が求める私たちの生き方
  • (模範)目撃した事柄を伝えること。主イエスの弟子たちが目撃したことを伝えたことにより、私たちにも福音が伝えられました。私たちはイエス・キリストを直接目撃したわけではありませんが信じています。さらに聖書が神の言葉と信じています。日曜の礼拝では聖書の説き明かしを聞き、日々の生活でも聖書を読みます。聖書によって生かされていることは私たち自身が経験することであり、幸いをいただいています。この幸いを伝えることは私たちにもできることです。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、主イエスの働きを目撃した弟子たちがイエス・キリストを宣べ伝え、それを聞いた人々が福音書を書き、それが私たちに伝えられています。私たちにも伝えることのできるものがあります。それは聖書によって生きる幸い、生かされる幸いです。この幸いを私たちは体験します。体験するということは、伝えることができることを意味します。
  • 私が自分のディボーションをインターネットに公開することは、御言葉によって歩む幸いを伝える働きをしていることと知らされ感謝です。自分のしていることを認められたようでうれしく思いました。続けてディボーションの公開を続けていきますが、今日のディボーションを今日、公開することとします。
  • またディボーションをしている人たちをあなたが励まし、何らかのカタチで、ディボーションの分かち合いを行えるように導いてください。また私のようにインターネットにディボーションを公開し、御言葉に生きる幸いを伝える人を起こしてください。
☆与えられた導き
  • 今日のディボーションをアップする。
  • ディボーションの分かち合いが広がるように祈る。