ローマ 1章8~15節(1)霊の賜物
2022年6月8日
(内容)
- パウロはローマを訪問したいとの願いとその目的を語っている。特に霊の賜物を分け与えたいという。
(黙想)
- 8節。パウロはまずローマの教会の信仰が世界に言い伝えられていることを感謝する。
- 9~10節。次に自己紹介をする。御子の福音を宣べ伝えながら神に仕える者である。祈るたびに神の御心によってローマに行くことを願っていることを告げる。
- 11~12節。さらにローマに行く目的を伝える。霊の賜物を分け与えて力になりたい、また励まし合いたいと語る。
- 13節。そしてローマに行きたいと願いつつ行けなかったのは、妨げがあったことを是非知ってもらいたいと告げる。
- 14~15節。最後に、すべての人に対して自分は福音を告げ知らせるという責任があると語る。
- パウロは生涯の最後まで福音を伝えるとの使命に生きたと想像する。フィリピ書でパウロは、すぐに世を去ってキリストと共にいたいと熱望していると語るが、同時に福音を伝えるという使命があり、世を去るのか、世に残るか、板挟みになっているとも語る。
- 「霊の賜物をいくらかでも分け与えて」とはどういうことか。12章6節で以下でこう語る。
ローマ 12:6~8
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
- パウロは与えられた賜物に応じて賜物を生かすように勧めている。しかし11節の霊の賜物を分け与える、とはどういうことか。分け与えるのだから、自分が持っているものを与えることになる。しかし霊の賜物を物のようにやりとりすることはできないだろう。コリント一12章には、聖霊は望むままに一人ひとりに賜物を与えるとある。
- 人は、自分に与えられている霊の賜物に気づかない場合がある。だから気づかせるということなのか。自分がある賜物を与えられていた場合、だれかがその賜物を与えられていることに気づくかも知れない。そこで相手に賜物が与えられていることを伝えるのである。しかしこのような行為を「分け与える」というのか。
- この段落において、ローマ教会の人に対して、福音を伝えたいというパウロの強い思いが現れている。福音を伝えるためにローマに行きたいのである。そして「力になりたい」(11節)、「励まし合いたい」(12節)。パウロは、福音を伝えることを「霊の賜物を分け与える」と言っている可能性はある。パウロはまだローマに行くことができなくて、この手紙を書いている。この手紙はある意味で福音の真髄を伝えようとしている。ローマに行って、霊の賜物を分け与えることができないので、今、手紙を書いている。パウロが語る霊の賜物は、福音と言ってよいのではないか。しかも福音の中心的な事柄である。福音こそ神からの大いなる賜物と言うことができる。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (模範)10節。御心によって生きようとするパウロの姿
- (模範)11節。霊の賜物(福音)を伝え、力づけたいと願うパウロの姿
- (模範)14~15節。パウロは自分にはすべての人に福音を伝える責任があると考えている。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、パウロの思いに心を向けることができ感謝します。パウロは福音を霊の賜物と呼び、これを分け与えたいと書いています。何としても福音を伝えたいのです。御子の福音を何としても伝えたいのです。それは信じる者をキリストのものにし、信仰の従順へと導く福音です。
- 「福音を告げ知らせたい」(15節)とのパウロの思いを私も少しでも持つことができたらと思います。教会に仕え、礼拝説教を通して福音を伝える務めからは私は引退しました。しかし許される限り何らかの形で福音を伝える働きをしたいと願います。今はインターネットを通して個人がメッセージを発信できる時代です。あらためて福音を発信していこうとの思いを抱きます。
- 天の父よ、私を用いてください。先ほどふと与えられた思いがあります。キリスト教の世界観です。キリスト教は世界をどう見ているのか、それを分かりやすく伝えたいと思いました。キリスト教とは何か、それを把握することは信仰に生きる意味の理解につながります。発信したいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- キリスト教の世界観について思いめぐらし、まとめる。