ローマ 8章1~4節 霊に従う
2024年6月14日
(内容)
- 霊に従って歩む私たちのうちに律法の要求が満たされる。
(黙想)
- 律法に仕える人は、律法の要求を満たすことができなかった。律法を行いたいという意志があっても、罪の力のために律法を行うことができない。しかし、霊に従って歩む時、律法を満たすことができる。
- 霊に従うとはどういうことか。言葉で言うのは簡単だが実際にどういうことなのか。どうすれば霊に従うことができるのか。
- 霊の導きとは聖霊の導き、聖霊の助けである。み心に従おうとする時、罪がそれを妨げようとする。聖霊は、み心に従うように助けてくださる。私たちの心は、戦場となる。罪の力と聖霊の導き。どちらが勝つのか。罪の力は侮りがたい。聖霊の導きは今一つわかりにくい。
- 僕が大切なこととして学んだことは、自分が本気でみ心に従いたいと願っているかどうか。本気で願う人を聖霊は助け、導いてくださるということ。自分が本気で願っているかどうかは、何とも言えない。信仰者だからそうしなければならないという思いが混じっている可能性が大きい。
- でもそんな議論は脇においておこう。とにかく神の御心に従いたいので、聖霊の助けを祈り求め、み心に従う努力をすることである。罪の働きが強くて従うことができないこともある。でも聖霊の助けを祈り求めて、み心に従う努力をすることである。
- そしてある時気づいた。自分は神の御心を大切にしたいと考えているかどうか。神の御心を大切にする心は、み心に従うことができる。聖霊の導きとは、神の御心を大切にする心を与えてくれることだと。それは言い換えると神を愛する心である。神の前にへりくだる心である。
- 霊に従って歩む私たちは、律法の要求を満たすことができる。これは喜ばしきメッセージであり、約束である。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>霊に従って歩むこと。
- <約束>霊に従う時、律法の要求を満たすことができる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、あなたをあがめ敬い、み心に従う歩みはしたくてもできない、という問題を抱えるキリスト者がいます。問題を抱える理由の一つに「霊に従う」ことがどういうことか分からないことがあります。
- この問題は、こうすればいいと、その方法を伝えればすむ問題ではないと考えます。神を愛し、神の御心を大切にし、それに従う心を得ることが課題だからです。何か一定の手順を踏めばこの心が与えられるというものではないと考えます。人それぞれが、それぞれの努力をして得るものではないかと思います。
- その努力の中で欠かせないものがあります。聖書を読み、神さまの御心を知る努力です。そしてみ心に従いたいという願いです。
- キリスト者にとって、律法に従うとは、ただ戒めを実践するということではなく、その戒めを与えられる神の御心を敬うということです。敬うから、戒めを行います。この敬う心を育てることが大切ですね。
- この心を聖霊が与えてくださいます。それは待っていれば与えられるというより、聖書を読み、神の御心を知り、御心を大切にする努力の中で、与えられるように思います。私はそのようにして与えられたと思います。感謝です。
- この経験を多くの人にもしてもらいたいと願います。このこともまず祈りから始めたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 聖霊の導きについて伝えられるように祈る