マルコ福音書 10章17~22節 永遠の命を受け継ぐ
2022年8月19日
(内容)
- ある人が主イエスに「永遠の命を受け継ぐにはどうしたらよいでしょうか」とイエスに尋ねた。神の戒めを守っている彼にイエスは、「あなたには欠けているものが一つある」とイエスは言われた。
(黙想)
- ある人がイエスに永遠の命を受け継ぐにはどうしたらいいかと尋ねた。イエスは十戒の後半の戒めを取り上げ、「あなたはこれらの戒めを知っているはずだ」と答えた。
- 彼は「子供の時から守ってきました」と答える。するとイエスは彼を慈しんだ。イエスは彼が神の戒めを守る努力をしていることを知り、慈しんだ。そして彼に言った。「あなたには欠けているものが一つある」。
- そして「あなたが持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」と言われた。
- その人は悲しみながら立ち去った。彼は沢山の財産をもっており、売り払うことはできなかったのである。
- 人間は自分の努力によって永遠の命を受け継ぐことができるのだろうか。つまり自分の働きに対する報酬として永遠の命を得ることができるのか。また聖書は、神の恵みとして与えられる賜物があることを教えている。果たして永遠の命は自分の努力で獲得する報酬なのか、神の恵みで与えられる賜物なのか。
- イエスは彼に「あなたに欠けているものが一つある」と語った。何が欠けているのか。永遠の命を報酬として得るために、彼がなすべきことがあと一つあるということなのか。それとも永遠の命は人間の努力により報酬として得るものではなく、神の恵みとして与えられる賜物であることを知る、このことが欠けているということなのか。
- イエスは彼に「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことになる」と言われた。イエスは彼が金持ちであることを見てとった。だから持ち物を売り払って貧しい人に施せとの指示を与えた。
- イエスのこの言葉の意図は何か。彼にあともう一つ、することがあると告げたのか。それとも報酬として永遠の命を得ることはできないことをイエスは教えようとされたのか。
- このイエスの言葉を聞いて彼は悲しみながら立ち去ったとある。持ち物を売り払うことができない彼は、自分は永遠の命を受け継ぐことができないと理解し、悲しんだということである。永遠の命を自分の努力で得ようとする試みは破綻する。
- イエスが最初にご自分の苦難と死を語った時に、こう語られた。
マルコ8:34~35
わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
- 自分の命を救いたいと思う者、つまり永遠の命を受け継ぐことを願う者は、イエスのため、福音のために自分を捨てることが求められるという。
- イエスに質問した人へのイエスの答え「持ち物を売り払って施しをしてイエスに従う」とは、命を得るために自分を捨ててイエスに従うことであるとの教えにつながっている。
- 基本的にそれは人間の努力ではできない。自分を捨ててイエスに従うことは、イエスが捕らえられた時弟子たちがイエスを見捨てて逃げたように、人間の努力でできることではない。永遠の命は賜物として与えられる。
- イエスの言葉を聞いて悲しみながら立ち去った彼。もし彼が、持ち物を売り払うことはできませんとイエスに言ったらどうなったのかと思う。イエスとの対話を続けるのだ。しかしそのためには、持ち物を売り払うことができないという自分をイエスにさらさなければならない。財産を惜しむ心があり、それを全部施しに使うことはできないという思いがあることをさらさなければならない。ある意味それは自分の恥をさらすようなもので簡単にできることではない。プライドが抵抗する。
- もし自分の心をイエスにさらしたら、イエスはさらに彼に教えたかも知れない。徹底的にイエスに食らいついて、永遠の命を受ける方法を教えてもらってもよかったのではないか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>十戒の戒めを子どもの時から守ってきたと話す人を慈しまれた。
- <御子>あなたには欠けているものが一つあると指摘する方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>悲しんでイエスのもとを去るのではなく、さらにイエスに食らいつくこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスのもとに来た人が自分は財産を売り払うことができません。もし財産を惜しむ心がありますと言ったら、主イエスは何と答えられたのかと思います。悲しんで主イエスのもとを去るというのは残念なことです。自分はダメなんだと悲しんで引き下がることは残念なことです。
- 私たちの生活の中でも似たことがあるのではないかと思います。それは無理です、むずかしいです、と言って、何かを避けていることがあるのではないかと思います。あるいは自分の恥、無力さをあなたの前にさらして導きを求めればいいのに、それをせずに、自分の中に閉じこもってしまうことがあるかもしれませんね。
- 主イエスに食らいつくということを今日は思わされました。今日は主イエスに食らいついて祈りたいと思いました。
☆与えられた導き
- 主イエスに食らいついて祈る
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祈り
主よ、祈ります。
私は21世紀に生きています。
この日本の国に生きています。
牧師の働きから引退したものとして思うことがあります。
福音が余すところなく宣べ伝えられていないという現状があるように思います。
そのためにキリスト者の信仰が証しとならず、
伝道することができていない現状があります。
教会は高齢化し、教会を支えることが困難な時代になっています。
福音は恵みです。
でも恵みが大きすぎてそれを信じきれないという面があります。
あなたの十字架の恵み
それはあなたと私たちを結びつけます。
あなたが十字架で死んで復活されたように、
私たちもあなたに結ばれ、
あなたと共に死に、あなたと共に生きます。
新しい命、神の命に生きることができるようにされました。
でもそのことがなかなか理解されず、
宣べ伝えられません。
説教者がその恵みを知り味わわなければ、
伝えることもできません。
信仰は人から人へ継承されますが、
救いの恵みを十分に知らない牧師の説教で育った人が牧師になり、
また救いの恵みを十分知らないまま説教をする、
そういうことが繰り返されているように思います。
主よ、どうしたらいいのですか。
よい方向へと導いてくださるようにお願いします。
福音が余すところなく宣べ伝えられるように
導いてください。
説教者を導いてください。
説教者が己の罪に打ち砕かれ、
救いの恵みを求めることができるようにしてください。
罪から解放され、聖化の道を歩める救いの道を
語り、証しすることができるように導いてください。
主よ、導いてください。
一人ひとりが真剣に御言葉に生きることをしないと
罪に打ち砕かれることはありません。
父なる神さまの御名が本当に崇められるためにも、
主よ、導いてください。
私にもできることがあるなら教えてください。
私にもできることがあるなら教えてください。