ローマ 1章16~17節(2)神の義の啓示
2022年6月23日
(内容)
- 福音には神の義が啓示されている。
(黙想)
- 福音には神の義が啓示されているという。いきなり「義」である。福音には何が示されているのかと言えばまず「イエス・キリスト」の名が登場して不思議ではない、いや当然と思う。しかしパウロは福音は神の義を明らかにするという。福音を考えるとき、パウロの思いは神の義に向かう。これには驚く。
- 福音には何が示されているのですかと聞かれたら、僕は何と答えるのか。神の義という答えは出てこないだろう。なぜなのかと思う。福音にはエス・キリストによる救いが啓示されている、イエス・キリストの十字架の意味が啓示されている、こんなことを僕は言いそうだ。
- しかしパウロは違う。パウロは本質を見ている。福音の本質を見ている。それは神の義。義なる神がおられること、この神が私たちに義を与えてくださること、そして私たちは神との間に平和を得て生きることができること、これが福音の本質とみているのではないか。
- 神は義なる神であり、罪に対して怒る神である。神が罪に対してお怒りになること、これは不変である。神は御子を世に遣わし、十字架につけ、十字架につけられた御子の上に人類が犯すすべての罪に対する怒りを注いだ。そして御子を信じる者を義とする。御子を信じる者は、御子と結びつけられ、御子キリストと共に死に、御子キリストと共に復活し、新しく生まれ、罪を克服して生きるようにされ、神との間に平和を与えられて生きることができる。
・神は正しい方で罪に対してお怒りになる。
・神は罪を犯す人間の罪を十字架のイエス・キリストのにおいて怒る。
・神はイエス・キリストを信じる者を義とし、イエス・キリストを信じる者は神との間に平和を得る。
・かくして、イエス・キリストを信じる者は神との交わりに生きることができる。 - 神は罪を裁く正しい神である。しかし冷たい神ではない。罪を犯す人間を憐れみ、愛し、人間を救う神である。人間と共に生きようとされる神であり、人間との交わりに生きる神である。正義と愛の神こそ、真に義なる神、正しい神である。
- 福音には神の義が啓示されている、そこには深い内容が秘められている。そして私たちはこの神に目を注がなければならない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>義なる方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>義なる神に目を向けること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を黙想することができ感謝します。パウロは福音には神の義が啓示されていると語りました。福音には神の義が啓示されていることに、私なりに黙想をしてみました。この黙想が適切なのか否か、敬愛するロイドジョンズ牧師のロマ書講解を読んで確認したいと思いました。感謝します。
☆与えられた導き
- マルチン・ロイド・ジョンズ牧師のロマ書講解を読む。