マルコ福音書 8章31~33節 神のことを思わず
2022年6月24日
(内容)
- イエスは自分が多くの苦しみを受け、殺されること、しかし復活することを弟子たちに語られた。
(黙想)
- イエスは驚くべきことを弟子たちに語る。弟子たちは驚きどう受けとめていいのか分からない。だからペトロはイエスをいさめたとある。弟子たちがイエスのことをメシアと告白した直後のイエスの発言である。弟子たちは、メシアであるイエスが殺されるなんて理解できない。そんなことがあってはならない。イエスは、殺されたらメシアでなくなると思ったにちがいない。
- イエスは自分の死をどのように受けとめていたのだろうか。10章35節以下で、イエスは弟子たちに「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」と語り、御自分が苦しみに遭うことを語っている。さらに45節では、「人の子は、仕えられるためにではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として、自分の命を献げるために来たのである」と語っている。イエスはご自分が体験する苦しみ、死に意味のあることを知っている。それ以上のことは語られない。
- ペトロがイエスをいさめた時イエスは、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われた。
- ペトロは、神のことを思わず、人間のことを思っているとイエスから非難された。それはサタンに影響されてのことであり、イエスはサタン引き下がれと命じた。
- 神のことを思わず、人間のことを思っている。心に刺さる言葉である。人間のことを思うとは、自分の考えに従って生きることを意味する。自分がどう思うか、どう感じるか、どうしたいか、それを優先するのである。神の御心がどこにあるかを考えず、自分の思いを優先するのである。
- イエスがなそうとする神のみ業、人間を救う御業は人間の思いを越えたものである。メシアが死ぬなんて人間には理解できないし、受け入れることができない。しかし神の御心がある。自分の思いを越える神の御心を受け入れる用意があるのかないのか。自分が受け入れることができることだけを受け入れるのでよいのか。
- イエスはいよいよ十字架に向かって歩む。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>苦難の道を進む方。
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>自分の思いで神のみ業を評価してはいけない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」との主イエスの言葉が心に刺さりました。今、世界では、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が行われています。どこに立つかで見方は変わってきますが、軍事力を使って他国を侵略することは、許されないと思います。ウクライナの街が攻撃され、破壊され、市民は住居を破壊され、住む所を失い、あるいは命を奪われています。
- このようなことが一日も早く終わり、ウクライナに平和が戻るように祈っても、なかなか現実は変化しません。ロシアの軍事侵攻は長期化しそうです。この軍事侵攻により食糧危機が発生し、物価高という現象が発生し、今後の見通しがはっきりしません。やがてウクライナを支援している国々の中で、物価高、その他の付随現象により、支援に対する疑問の声が上がってくるに違いありません。
- あなたは何をしているのか、との思いが湧いてきます。このような事態をあなたは放置しているのか、さらには神は本当にいるのか、というような思いさえ湧いてきます。あなたを信じる信仰が動揺しかねません。
- そんな私に主イエスの言葉が刺さります。「あなたは神のことを思わず、人間のことを考えている」。たしかに人間の視点で考えています。そして神ならぬ身において、あなたはどのようなお考えでこの事態を見ているのか、あるいは何をなさっているのか、知ることはできません。
- 人間の罪がこの事態を引き起こしています。ロシアの指導者の高慢、強欲が引き起こしています。支援する西側諸国の行動は、敵意という隔ての中垣を高くし、解決が遠くなります。力の強い方が勝つという結果に至るまで時が流れていくのでしょうか。私たちの見えないところで、あなたは御業をなしておられるのかもしれません。何があなたの御心なのか、知りたいです。
- 主イエスは「神のことを考えなさい」と教えられました。あなたがロシアの軍事侵攻に伴う色々な事態について、どのように思われているのか、思いめぐらしてみたいと思います。
☆与えられた導き
- 神さまの思いを思いめぐらす。
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ロシアの軍事侵攻に関して神の御心を思う
- まず心を痛める現実がある。ウクライナの人たちの生活が壊される。命が脅かされ、失われていく。他国に侵略し、そのような暴挙を行う正当性とは何か。ロシアは自分の正当性を主張するが、説得力はない。戦争は長引き、ウクライナの街は荒廃化する。市民の命が奪われていく。ロシアは攻撃目標は軍事施設だけと言うが、街が破壊されており、認めがたい暴挙である。
- 戦争が早く終わるように人は祈る。しかしその気配はない。むしろどちらかの勝利が確定するまで長期化しそうである。神の御心はどこにあるのだろうか。
- 戦争を引き起こしたのは人間の罪である。ロシアの大統領の高慢と強欲、虚偽である。ウクライナを支援する西側諸国はロシアに制裁を施し、敵意という隔ての中垣を高くしている。どの国も人間の思いで動いている。がそこには人間の知恵もあるだろう。しかし敵意という隔ての中垣を崩して平和をもたらすことはできない。神はイエス・キリストを遣わし、敵意という隔ての中垣を取り除く道を開いた。しかし世界は、その道を歩くことはできない。人間の罪が引き起こし、人間の罪が事態を長引かせているとも言える。そして自己正当化と相手への非難の声が響いてくる。
- 神の目に人間の罪がこれでもかと映る。罪の解決のためにイエス・キリストをこの世界に送られた。イエス・キリストを信じる人は多い。平和のために活動する人も多い。しかし国家が戦争を仕掛けるという大事に対して、個人の力は弱い。第一次、二次世界大戦が行われた。多くの人命が失われた。人間は戦争の愚かさを学んだはずだ。しかし、国家の指導者の考えによっては戦争が起きてしまう。
- 神はどう思うのか。人間に嫌気をさすのか。あきれているのか。しかし神が造られ愛する人間の命が奪われている現実がある。戦争を起こせば、人の命は失われる。戦争は愚かなことである、これを学べと神は言われるのか。
- 神は人間の自由を制限することはされないから、戦争は続行する。大砲の撃ち合いだけがすべてではない。戦火の人々の生活がある。そこには神の働く余地は、あるのではないか。執り成しの祈りは可能かも知れない。でもそれが神の御心なのか。
- 神は人類をどこに導こうとしているのか。第三次世界大戦を防ごうとされているのか。
- この世界は分断化が進んでいる。ロシア、中国のような専制国家と民主主義の国。溝は深い。アメリカ国内では銃規制、中絶をめぐって、つまり倫理をめぐっての分断がある。しかし世界は、相互に協力しなければならない状況にある。ロシアを制裁してもその反動がある。世界は相互依存関係の中にある。分断を解決するのは福音である。平和を生み出すのも福音である。福音宣教の必要性を神は教えようとしているのか。
- 神の御心は分からない。ただ一つ言えることは、何が起きても神への信頼を失わないでいること。ロシアの軍事侵攻がどのような経過を辿っていくのか、分からないが、神への信頼を失わないで生きていくこと。
- 人間が起こした問題の火消しを神に願っても、神は願いをかなえてくれるとは限らない。自分たちで解決せよ、と言われるかも知れない。人間が引き起こした悲惨な状況だから、蒔いた種を刈り取らないと人間は学ぶことはできないと神は思うかも知れない。
- 神は歴史を導こうとしていると信じる。人間は大きな問題を引き起こしている。神は人類をどこへ導こうとされるのか。事の成り行きに注意を払っていこう。