ローマ 6章12~14節(2) 神にゆだねる

2023年9月20日

(内容)

  • 自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げなさい。

(黙想)

  • これは13節の言葉である。自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げるために、死ぬべき体を体の欲望に従わせるようなことをしてはならないし、むしろ神のみ心に従うようにすることが大切となる。五体を不義のための道具としてではなく、義のための道具として神に献げることが大切となる。
  • キリスト者は洗礼を受け、キリストに結ばれた。キリストと共に死んで、キリストと共に新しい命に生きる者とされた。そのことが13節で、自分のことを死者のなから生き返った者、と書く。
  • 僕自身、死者の中から生き返った者と考える。それは一回切りのことではない。洗礼を受け、キリスト者として生きるようになった。聖書を読み、祈り、神を礼拝する人間となった。以前の僕はこのようなことは全くなかった。そのような古い人間は死んで、新しいキリスト者として生きるようになった。
  • さらに牧師となり、神が生ける神であると知った。その時から確信をもって説教できるようになった。どこか不安げに説教していた自分が死んで、確信を持って説教する新しい自分になった。
  • さらに聖書、神の言葉を自分の思考の土台とする人間になった。自分のものの見方、考え方、学んだこと、身につけた知識、経験などよりも、神の言葉を優先して物事を考える人間になった。自分は変化し続けている。
  • そして今も変化が求められていると感じる。自分に問題があるから。自分の心には疑いが湧いてくる。疑いがあるが、それにもかかわらず、自分は信じて生きることを選ぶ、という思いで今日まで生きてきた。疑いがあるにもかかわらず、信じて生きる。疑いがあるから、信じる歩みを意識的にする。徹底する。そのように歩んできた。
  • 心に湧いてくる思いを抑えることはできない。だから、湧いてきた時にどうするのかと考える。信仰的な選択をすることを選んできた。
  • そもそも疑うことは心の機能の一つである。人間に備わった大切な心の働きである。何が神の御心で御心でないのか、区別するためには、疑う心、吟味する心は大切である。
  • 問題は真理を疑い、真理からそれることである。何が真理かを見極め、真理ならざるものは捨てることが大切。正体がわからないものは疑いの心をもって、見極めることが必要だが、自分が真理と信じたことを疑うのは、真理に生きようとする者にとっては、意味のないことである。それをしてしまうとすれば、自分は惑わされているのである。
  • 自分は、真理を求めている。あることを真理として信じるなら、それを真理として生きる。時に真理として信じていることを疑うことはあってもいい。その時は、きちんと疑い、決着をつけること。そして真理であるとするなら、真理として信じ直すこと。基本的に同じことを疑うことは繰り返さない。
  • 疑いを乗り越える時、疑った人間は死に、死者の中から生き返った者として生きる。疑った人間が死んだことを認めることにする。
  • 繰り返し同じことを疑うのは、結局、真理に身をゆだねることができないからだ。問題は、ゆだねることのできない自分である。神に徹底してゆだねる自分になりたい。ゆだねきれない自分に死んだ、ゆだねる自分に生まれ変わること。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>自分自身を死者の中から生き返った者として認めること。
  • <勧め>生き返った自分を神に献げること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。自分自身の信仰の問題点に向き合うことができたことを感謝します。あなたにゆだねきること、それが私の課題でした。他者に自分をゆだねることに不安はつきものです。信仰者として、わたしはあなたに身をゆだねます。ある意味、それは自分自身をあなたに献げることを意味しますね。私はそう理解したいと思います。
  • 身をゆだねることについて、聖書に学んでみたいと思います。導いてください。イエス・キリストの御名により祈ります。
☆与えられた導き
  • 身をゆだねることについて、聖書に学ぶ